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【22卒内定者紹介Vol.3】直感を信じ、日本の端から世界を飛び回った私がやっと見つけた「本当にやりたかったこと」。

#「自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ」

揚羽先輩社員に人生のモットーは?と聞いた所、上記のような名言が帰ってきて、「本当に芯がある人が多いな」と日々感じました、揚羽の望月です。

さて今回は、将来仕事も自分の人生の一部として愛したい、と語る、
内定者のなべちゃんこと、鍋島さんに就活を振り返って、書いていただきました。

■プロフィール
鍋島花苗(Kanae Nabeshima)
北海道 余市町 出身。
北海道教育大学 地域協働専攻 国際地域学科 卒業予定。
北海道生まれの北海道育ち。小さな頃から活発で、年中外で走り回る。
日焼けをしすぎて、ついたあだ名は「ガングロ玉子ちゃん(おでんくん)」

大学入学後、やりたいことに手を出し続け、休学・ワーホリ・世界一周を経験。
4年生、そろそろ落ち着こうと思った矢先、デザインに出逢い、独学で勉強を始める。

趣味はサイクリング。
こないだ北海道から東京まで自転車で行ってみました。もちろん帰りは新幹線で帰ってきました。


Chapter.1 :自分のつくったものが、誰かの役に立つ。クリエイティブの沼にハマっていった私。

私は大学に入学した当初、周りとの価値観の差や授業とバイトを繰り返すだけの毎日に嫌気がさしていました。

せっかくの「大学生活をもっとたくさんの人に出逢い、充実したものにしたい」。
そんな思いから、オーストラリアで1年間働きお金を貯め、大学3年時に休学し世界一周をしていました。

その時に、どうせなら自分が見たものを綺麗に残そうと、世界中の写真を撮って、綺麗にみえるように編集し、SNSにあげていました。

するとたくさんの人が、「とても綺麗でいつか行ってみたくなった」「もっと色んな写真が見たい」というようなコメントをいただきました。

元々、小さな頃から美術や図工の時間に、何かをつくることが大好きだったものの、自分が作ったものに対して、あまり人から褒めてもらうことがなかったので、とても嬉しかったんです。

それが、ちょっと自信にも繋がって、どんどん写真を撮っては編集を繰り返し、「自分だけの作品を生み出すこと」の楽しさに気づき、のめり込んでいくようになりました。

当時の私は、「何かを生み出す職業=写真家やアーティスト」ぐらいのイメージしかありませんでした。そして、その職業で成功するには狭き道であり、それだけで生活していくことは厳しいというような印象を持っていました。

そのため、「何かを生み出す」職業って、これ以外にどんなものがあるのだろうと考えるようになりました。

そこから、とにかくインターネットで色んな情報を集めるうちに、出逢ったのがデザイナーという職業でした。

何かをつくったりすることは好きだけれど、アーティストなどのように、それを仕事にできるほどのセンスも自信もない。だけれどデザイナーという職業は、センスは関係なさそうだし、これからの自分次第でなんとかなりそうと感じました。

そんな理由で、「これだ!」と思い、帰国後、独学で勉強を始めました。

最初は、ただ自分の好きなものをつくって満足していました。

そんな時、私の住んでいる街にあるキャンドル屋さんに、商品を包むパッケージをデザインするという機会をいただきました。
パッケージを一緒に作っていく中で、その店主さんがお店をつくるに至った経緯や商品に込める想いを聞いているうちに「絶対にこの商品がたくさんの人に伝わるようなパッケージをつくりたい」と感じている自分に気がつきました。

気づいたら寝る間も惜しみ、夢中で作業していました。

そして、実際にパッケージが出来上がり、店主さんや商品を手に取った方の笑顔を見た時、初めて「デザインで人を笑顔にすることができる」ということに気がつきました。

自分のつくりたいものを、つくることがクリエイティブだと思っていた私にとって、この経験は大きな転換点でした。

またこの時、「1番のやりがいが何か?」にも気付くことができました。

それは、依頼者の方との打ち合わせで、商品に込める想いを聞いたり、本人が気づいていない魅力を一緒に引き出し、それをデザインにどう落とし込めるのかを考える時間です。デザインを実際につくることももちろん好きでしたが、この時間は私にとってまさに”沼”でした。

このような経験から、気づけばクリエイティブの道に進みたいという想いがどんどん強くなっていきました。そのため、デザイン業界の説明会に積極的に参加していきました。

そのたびに、周りは美大生ばかりで、自分の実力のなさに絶望し、「私には、この業界は無理だ」と思うようになりました。

そのため、就職を諦めデザインを学べる学校に進学をするという決断をし、それに向け試験勉強に切り替えることにしました。



Chapter.2 :本当にやりたいことではなくて、「周りの評価」が中心になってしまっていた私。

就職活動をストップし、近況報告も兼ねてSNSで今後の進路についての投稿をしました。この時はまだ、就職を諦めたものの本当にこれでいいのかと悩んでいる時期でもありました。

すると、私の投稿を見た先輩から揚羽を紹介されました。

進路相談にも、乗ってくれるみたいだったので軽い気持ちで面談を受けました。

揚羽の面談では、自分はデザイナーになりたいが圧倒的に知識・技術面が足りず、就職が難しいため進学しようとしていることについて話をしました。

この話をすると、これまで受けてきた企業の人事の方や周りの方には大抵、「そんなにデザイナーになりたいという想いがあるのなら、進学があってると思うよ」と言われてきたのですが、揚羽だけは違ったんです。

「本当にやりたいことってデザイナーなの?」と言われたんです。

最初は「ん?」と思いました。正直、これまで自分がデザイナーになるということを夢見て、その道のことしか考えてこなかった分、認めたくない自分もいました。

しかし、冷静に1人で考え直してみると、周りから「デザイナーは美大生がなるものだ」と言われるたびに、絶対にデザイナーになってやると躍起になっていただけだったと気がつきました。自分は負けず嫌いなので、よく昔から無理だよといわれるとさらに「相手を見返してやる」と、燃えてしまうんですね。

中学の時も、社会が好きだったんですよ。

それでどうしてもテストで1番をとってみたかったんですが、周りに無理だと言われたことで躍起になり中学3年生の1年間は社会のテストだけは常に99点で1位をとり続け社会王と呼ばれました。そして社会だけが得意になり、他は散々でした、、。

そんな性格の私なので、ここでも、周りに「無理だ」といわれたことで、本当に自分がやりたいことを見失っていたんです。

そこでもう1度、自分が本当にやりたかったことを一からゆっくりと、時間をかけて考え直してみました。

周りの評価を一切排除して

「本当に自分がやりがいを感じていることは、なんなのか?」「私は、何を楽しいと思っているのか?」

そんなことを延々に繰り返し、考えていきました。
そこでやっと分かったんです。

いつの間にか、自分が1番やりたいことではなくて、周りの人を見返すことをゴールに設定し、「他人の評価」を中心に考えていてしまったことに。

そして、本当に私がやりたかったのは、企業が持っている課題の本質を一緒に探したり、企業の魅力を引き出しそれを、どうクリエイティブに落とし込むかを考えるということに。それが決してデザイナーという職業に固執する必要がないということに。

そこで初めて、それがブランディングであり、揚羽がやっている仕事だと知りました。

それはまさに、私がお店のパッケージをつくった時のやりがいと一緒でした。
揚羽は、私が見失っていた、“自分”に気づかせてくれた企業でした。

また揚羽の面談は、面接のように審査するのではなく、1人の人として真剣に向き合ってくれていることが手にとるようにわかり、こんな人たちが働いている企業に入社したいと思うようになりました。

そして、揚羽に入社できなければ進学しようという考え方に変わりました。
また、揚羽を紹介していただいた先輩は大学の先輩ではなく、大学2年生の時に海外でたまたま出逢いました。

今考えると、もしあの時、海外にいっていなかったら、揚羽に出逢うこともなかったので、恐ろしいですね。直感で行動してしまう自分に感謝です笑


Chapter.3:クリエイティブで人を笑顔にしたい。

就活当時に、私が持っていた就職活動の軸は以下の3点でした。
就活を始めた当初に立てた軸とは、あまり大きくは変わっていません。

企業の課題解決をクリエイティブで行っていること
「クリエイティブで人を笑顔にできる」ということに気づいてからは、さらに時間を忘れてその道に没頭していきました。こんなにも時間を忘れて、熱中してしまうことは初めてだったので、将来もこの道に進んでいきたいと考えていました。そのため、これを1番の軸として設定していました。

②同じ熱量を持った人たちと働けること
大学入学当初、私は周りとの価値観の差に悩んでいた時期がありました。
単位が取れればいい、お金を稼げればなんでもいいとか、将来自分が何をやりたいのか考えることもしない人とか、、、。
そんな自分も周りの目を気にし、そのノリに合わせていました。
毎日、なんとなく授業を受けて、バイトに行って、飲みに行ってというような大学生活を過ごしていました。そんな生活に嫌気がさし、もっとたくさんの人に出逢ってみたいという想いから休学をしました。

復学後は、同じような想いを持った人たちと古民家でシェアハウスを始めました。
どうやったらもっとたくさんの学生が自分の将来ややりたいことを始めるきっかけをつくることができるのか、住民で話し合いをし、イベントを開催したりしていました。
そして、いつしか最初はすごく小さなプロジェクトだったものが今では、市内では知らない人がいないくらいになりました。

この経験から同じ熱量をもった仲間が力を合わせたからこそ、たくさんの人の心を動かせることに気づきました。そのため、この軸を設定していました。


③自分らしさを生かせる環境
就職活動を始めた当初、日本の就活制度に対して、良い印象を持っていませんでした。
そうではない企業もたくさんありますが、数十分のうちに合否が出てしまうため、ありのままの自分を見せてしまうと落ちるのではないかというような意識が自分の中にありました。

そのため、良い面も悪い面もありのままの自分を受け入れてくれて、自分らしさを出すことのできる企業に入りたいと感じていたため、この軸を設定していました。
そして、揚羽は私の設定していた軸にピッタリと当てはまっていたんですね!

揚羽の選考を進めていくうちに、人と仕事内容に惹かれ、絶対に揚羽に入社したいと思うようになっていました。最後は、揚羽に落ちたら進学すると決めていました。

無事、内定をいただいた日、ずっと張り詰めていた緊張が解け、安心したのか高熱が出て寝込んでしまったのを覚えています笑


Chapter.4:仕事を、自分の人生の一部として愛せる人に。


私は小さな頃から母子家庭でした。

母が、毎日朝から夜まで働いて兄弟3人を育ててくれました。その背中をずっと見ていたので、「仕事=辛いこと」というような印象を持っていました。

しかし、揚羽の社員さん達と出逢ったことで、その印象が変わりました。

私が面談させていただいた揚羽の社員さんは、しっかりと自分の目標や夢を持って仕事に取り組んでいるように感じました。こんなに楽しそうに自分の仕事について語る人もいるのかと驚きました。

もちろん、楽しいことばかりではなく、辛いと感じることもたくさんあるとは思いますが、仕事を自分の人生の一部として愛することができるような人になりたいです。

そして、母がその姿を誇りに思ってくれるような人になりたいなと思っています。

今は不安の方が大きいですが、揚羽の一員になれることを本当に楽しみにしています!!


ー「仕事も自分の人生の一部として愛する」ってかっこいいですね!
入社して来てくれるのが楽しみです。

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