村山毅 / Tsuyoshi Murayama オートメーションラボ株式会社代表取締役CEO 慶應義塾大学卒業後、コンサルティング会社で業務改革のコンサルティングやシステム構築業務を経て、2011年に独立。業務自動化のコンサルティング事業、バックオフィス向けAIの開発を手掛け、請求書読取AI「sweeep」をリリース。AI、BPO、RPAでバックオフィス革命を推進中。
■「社長になる」ことだけは決めていた
ーー本日は村山さんの半生から創業のストーリー、今後の展望までお聞きしたいと思います!まず、どんな幼少期だったか教えてください!
生まれも育ちも神奈川県で、父・母ともに教師、という家庭で育ちました。両親ともに躾はきっちりという方針でしたね。ただ一方、「勉強しろ」とはあまり言われず、かなり自由な家庭でもありました。おかげさまで、かなり好きなことに没頭させてもらえていた幼少期だったと思います。
中学生の頃までは野球をやってましたが、高校に進学してからはバスケにのめり込みました。インターハイを目指して、朝5時に起きては暗い中を朝練に行き、夜9時までひたすら練習して帰るという生活でした。スポーツ推薦のない高校でしたが県下の強豪校とも互角以上に戦えるくらい強い世代だったんです。チームとして当時では先進的な戦術を取り入れてましたし、とにかく当時はバスケ漬けの毎日でしたね。
大学へ進学してからは留年こそしませんでしたが、バイトに旅行・麻雀・バスケと、良くも悪くも大学生らしく遊んでいたと思います。そうして就職活動が始まるんですが、これがもう大変で。とにかくやる気がまったく起きず、当時は「早く終わって欲しい」と毎日考えていました。
ーー衝撃の告白ですね。当時はやりたいことが特に無かったんでしょうか?
やりたいことはわかりませんでしたが、なりたいものは明確でした。将来は何か大きいことをしたくて、それで「社長になる」と決めてたんです。これは小学生くらいの頃から決めていたことで、スポーツ選手になりたいとか強く思ったことはありませんが、社長になるだけはずっと変わらなかったですね。
とはいえ、そうは決めてはいるものの、当時の自分に具体的な起業プランは特にありませんでした。そのため「独立する時のアイディアが生まれるんじゃないか」くらいの気持ちで、コンサル・金融あたりを志望して就職活動していましたね。その結果、箸にも棒にもかからなくて。
今となっては当然だと思うのですが、OB訪問や企業分析など、あまり就職活動そのものに真面目に取り組めていなかったんです。そもそも数社しか受けていませんでしたし、大企業の合同説明会に行っても、スーツを着た就活生が500人くらいびっしり並んでいるじゃないですか。そういう光景を見て、「この中に入ったら絶対につまんないぞ」と途中で帰ったり。そういう就活生でしたね。なんとか会計系のコンサル会社に拾ってもらって社会人としてスタートが切れました。
■BPO事業で見えたやりがいのある仕事
ーー「社長になる」と決めていたのは村山さんらしいですね。そして、いよいよ社会人生活です。具体的にどういうお仕事をされていたんでしょう?
2002年に新卒入社してから、コンサル、営業、BPOのマネジメントと、さまざまな職種を経験させてもらいましたね。入社して数年は会計システムの導入業務がメインで、お客様と要件を詰めながら業務を一つ一つ設計するコンサルの仕事は面白かったですし、色々なビジネスにふれることも出来ましたね。それと、実際に自分でコードを書くことも楽しかったですね。パッケージのシステムだとどうしてもカスタマイズする必要のある部分が出てくるんですが、そういう時はシステムの仕様を決めて、試しに自分で書いてみることも多いんです。プログラミングを経験したのは社会人になってからですが、向いていたのかもしれません。最初の1〜2年は自分でもかなり手を動かしていた記憶がありますね。
コンサルを数年してからは営業をやらせてもらいました。営業成績はそれなりによかったのですが、嫌な作業がありました。「毎週の営業会議で受注の着地見込みのレポートする」という業務で、それがとにかく面倒で。そこで、何年か振りにコードを書いてみようと決意してボタンひとつでレポートを全て自動作成できるVBAを一人で作ったりしていて。そこで自動化マインドが芽生えましたね。その後、当時マーケットが非常に伸びていたBPO(ビジネスプロセス・アウトソーシング)事業のマネジメントに携わることになって。
ーー当時からやっぱり自動化・仕組み化が好きだったんですね。かなり納得のエピソードです。
根本的に面倒くさがりな性格なんですよ。無駄なことを極力やりたくないし、フロー仕事ではなくアセット仕事(仕組み化、自動化すること。人がいなくても業務が回っていくような資産を作る仕事)をしていたい。それで、まさしくBPO事業がそういう感じだったんですね。無駄なことを減らしたい、自動化・仕組み化・プログラミングが楽しい、やればやるほど利益が出る。良いことづくめですよね。
当時、とあるプロジェクトで、毎月10万件くらいの仕訳を打たなければいけないという案件があったんですよね。普通であれば断らざるを得ない案件でした。しかし、インプットデータさえしっかりしていればイケると考えて、試行錯誤しながら全てを3分くらいで自動処理できるマクロを組んだりして。今振り返っても、非常にやりがいのある仕事でしたね。
自身の性格にマッチしたBPO事業という領域。次回は独立に至った経緯と、「sweeep」が生み出されたストーリーについて聞いていきます。
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