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将来のビジョンやなりたい姿を描き、そこから逆算して計画し、着実に行動していく。「キャリアプラン」というワードを聞くと、このようなイメージがあるのではないでしょうか。
キャリアはまさに人それぞれですが、「計画された偶発性理論」という考え方、つまり「キャリアの8割は偶然的な出会いによって決定される」というケースが世の中には数多く存在するのも事実です。
弊社のチーフエンジニア、山本寛司も偶然での出会いからビットキーの立ち上げに参加した1人です。前職、ワークスアプリケーションの入社後の研修で2位グループだった山本と、ぶっちぎりの1位であった江尻がどのようにと出会い、そして、今後どのような人と出会い、一緒に仕事をしていきたいと考えているのでしょうか。お話をお伺いしました。
法科大学院からITへ。もう後がないと必死で食らいついたエンジニア研修
ーー代表の江尻とは前職で知り合ったと聞きました。どういった背景があって前職に入社されたのですか。
山本:代表の江尻と現在のメンバーと出会ったのはワークスアプリケーションズに入社してからですね。社内の研修がファーストコンタクトです。
それまで実は、法科大学院に通いながらモラトリアムをぶらぶらと謳歌していたのですが、リーマンショックが起き、人材市場が冷え込んできた2009年、当時28歳のときに「そろそろ働かねば」とやっと思い立ちました。150社近くエントリーした中で内定が出たのはまさかの2社だけ、その1つであったワークスアプリケーションズに中途枠での入社を決めました。
ーー法科大学院からIT企業への入社、しかもエンジニア職としての採用は苦労が多かったのではないでしょうか。
山本:江尻を含め、周りの同期はみな華々しい経歴を持っており、そして優秀でした。その一方、自分は何もなかったんです。だから本当に、必死でした。
ワークスアプリケーションズは入社して半年は未経験でもエンジニアリングの研修を受けるんです。課題を渡されて、それをひたすらこなすという厳しい研修で、それを突破できないとクビでした。もう後がない、退路がないと感じていて、とにかく必死に取り組んだんですね。土日も関係なく、ひたすらにインプットとアウトプットを繰り返して、日曜の夜はアルゴリズムの中に入り込むような夢まで見る始末でした(笑)
そうした努力の甲斐もあり、研修ではなんとかよい結果をだせました。そこからワークスアプリケーションズで9年間働き、今のエンジニアというキャリアにつながっています。
「江尻には一度賭けてみるとずっと決めていました」
ーー江尻とは入社時期と研修が同じだったそうですね。
山本:江尻は同期の中でも抜きん出ている存在でした。研修では誰よりも努力した自信があったのですが、それでも勝てなくて最終結果は江尻が1位で、僕は2番手のグループでした。
「ここまでやっても勝てないやつが世の中にいるんだな」と。
江尻は当時から論理的な思考力、そしてクリエイティビティの能力が人並み外れていました。音楽や芸術に近いような、アーティスティックなことを科学の力で解決するという能力とも言えると思います。
ーー社内で同じプロジェクトに参加されたことはあるのでしょうか。
山本:社内で江尻と一緒のプロジェクトに参加したことは実は一度もありません。ただ、研修では席が近く、よくコミュニケーションしていたこともあり、毎週の土日は江尻の家でいつも一緒に何かを作る仲で、そうした関係が4年ほど続きました。
その頃立ちあげたサービスの一例をあげると、世の中からニュースを集めてきて、AIでそのニュースのジャンルを自動で振り分ける機能や、同じテーマのニュースを時系列で並べ直す機能のサービスを開発したことを覚えています。
ーーその時点で「起業」の選択肢はなかったのでしょうか。
山本:確かに起業の話は何回か出てきましたが、最終的にはそこまで踏み込みませんでした。なぜかと言うと、そのサービスが世界を変えられる気がしなかったんです。お金は稼げますが、それだけでは面白くなかったんですね。
サービス開発からしばらく経った2017年の11月、江尻から「こんなことを今考えてるんだよね」と軽く声を掛けられたんです。その時の自分の反応は「そうなんだ」くらいだったのを覚えています。
そして翌月の12月に、「もっと煮詰まったからもう一回話を聞いてほしい」と持ちかけられたんです。その時の彼の様子は未だに覚えていますね。とても興奮していました。そして僕に「やっと見つけた!やっと見つけた!」と言い始めたんです。週末に物づくりしていた頃には聞けなかった言葉だったので、印象的でした。だから、その江尻を見てすぐ「で、おれはいつ(会社を)辞めればいいの?」と聞いていました。「一緒にやりたい」と江尻に誘われる前にです。
彼にはいつか賭けるときがくると思っていたので、「あ、ここなんだな」と直感しました。
当時すでに結婚しており、子どもも生まれたばかりだったのですが、家族が反対しても賭けるつもりでした。反対されてしまうなら、そもそも言わないくらいの覚悟だったんです。
そして、そこから私や江尻が主催で始めた社内外のメンバーを集めたブロックチェーン勉強会を通して、仮説検証や最新情報のキャッチアップ、人集めを行い、現在のビットキー創業へと繋がりました。
ーー山本さん自身は今後どのようなキャリアを描いているのでしょうか。
山本:冗談半分ですけど、ビットキーで一定の成功が見えたら、できれば引退したいと考えています。
そこには大きく2つの理由があります。
1つは、年齢の問題です。ビットキーの中で最高齢なのですが、これがあと8年経ったとして、僕が45歳になると間違いなく能力が落ちます。にも関わらず、今と同じエンジニアの中心にいると、僕の能力の限界がプロダクトの限界になってしまうんです。普通の規模の会社であれば、同じエンジニアがずっとプロダクトの責任をしていても問題ないかもしれませんが、ビットキーは今後爆発的に大きくなる会社なので、それは嫌なんです。
僕が今後もし地位やお金に執着しだしたら、それはきっとうまくいくんです。初期のメンバーとして役員陣とも近いし、社内政治ができてしまいます。そうすると、僕の意思でプロダクトが、そして会社がねじ曲がってしまうのは本意ではありません。
もう1つは僕が基本的に怠惰な人間であること。猫と孫を可愛がりながら時間を過ごす生活を一刻も早く送りたいんです(笑)
だからこそ、さっさと引退したいと思っています。自分の時間を賭けてもいいほど、この会社のやっていることは素晴らしいし、僕もまだまだ足りないことだらけで成長しなければいけないと毎日感じています。
そして今後、もっとマネジメントやエンジニアリングといった能力の優れた人が現れた時にこそ、このチーフエンジニアというポジションはお任せしたいです。
少しでも世界を変えたいと考えている人と一緒に働きたい
ーーチーフエンジニアから見た、エンジニアチームの雰囲気を教えてください。
山本:優秀なメンバーが集まっていることは自信を持って言えます。(スキルだけでなく)本質的な能力をみな備えていますし、そしてお互いが働きやすい環境を作り合っているのではないでしょうか。この会社のコンセプトの1つでもある、「人間がより人間らしく」に対して、チームも、そして自分自身も向きあっています。
一方でまだまだチームは立ち上がったばかり。プロフェッショナリズムに関してはより成長しなければいけないと感じています。
ーービットキーの採用方針として、働いてるメンバーが「いい人」だと思う人を採用しています。山本さんが考えられている「いい人」の定義を教えてください。
山本:まずはプロダクトを預かるという立場からすると、ものを作ることに正面から取り組める人です。ソフトウェアやハードウェア問わず、顧客が求めるものを形にしていく力を備えていることがまず1つ。
そして性格的な話をすると、少しでも世界を変えたいと考えている人。少しでも、よい人の暮らしを作っていきたいと、建設的で、前向きで、よりいい価値を目指して行動ができる人が、ビットキーには向いていると考えていますし、そういう方と一緒に働きたいですね。
あと、引退しておじいちゃんおばあちゃんになった頃、あの頃は大変だったねとお互いに笑い合える関係を作っていきたいですね。
ーーありがとうございました。