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今まで語られることがなかったpote創業メンバー小原の創業当時の「苦悩」と直近の「開花」


「HR new trend. ポテンシャライト 3weeks calendar」の第11弾になります!


HR new trend. ポテンシャライト 3weeks calendar|kazuki yamane Potentialight|note
みなさんこんにちは。ポテンシャライト代表の山根です。(ポテンシャライトをご存知ではない方も多いかと思うので、簡単に自己紹介資料は下記) みなさんご存知の通り、コロナの影響が各業界に影響を及ぼしています。そして、我々HRerの仕事にも影響を及ぼしているかと思います。 こんな話をよく聞きます。 「採用自体は自粛せずに続けたいです。何に注意したほうが良いですか?」「コロナがおさまったら一気に採用をドライブするために、今は何をしていれば良いでしょうか?」「リモート勤務によりやや余裕がありまして、新しい知識を入れた
https://note.com/potentialight/n/n89d45a0628df

ポテンシャライト創業メンバーであり、現在は人事採用支援事業・管理部門の責任者の小原ですが、代表 山根とは対照的に紆余曲折した末に今日があります。

今回はポテンシャライトの創業前〜創業後の軌跡について聞いてみました!

ー山根との出会いは新卒入社したネオキャリアで同期、退職から時間が8年近く空いた上での創業ということですが、創業前までの歩みについて教えてください。

ネオキャリア退職後は、海外移住の資金作りのため、フリーターを1年半ほどしていました。就活時に海外or就職を迷った末の決断から入社しましたが間もなく方向転換を決めました。

お金を作り、オリジナルルートで渡航する。

ということを決めた上での退職でしたので、資金作りと人との出会いに専念しました。

月に使えるお金は3,000円と決めて支出を最小限に。自動販売機でジュースを買うことに抵抗があったので、喉が乾いたらその辺の水道水を飲むのも割と日常的でした。笑

アルバイトは費やした時間がお金になるので、起きてる間はほぼ仕事をしていました。そうして1年半程度経ち、現地でしばらく生活できる資金が溜まったタイミングで東欧セルビア共和国へ行きました。

「なんでセルビア?」

とよく聞かれるのですが、後に僕のメンターとなる方との出会いがきっかけでした。

主要な国に行くと日本人のコミュニティに入ってしまうかも?という懸念と、全く見えない環境でのチャレンジに胸が踊ったことがポイントでした。
メンター:ビクトル古賀先生


ーセルビアでの生活がスタートしてからの話、少し詳しく聞かせてください。

ビザの関係で現地の国立大学に入ろうと門を叩きました。

ただ、当然セルビア語が話せないので出直してこいとなり、その大学でセルビア語の勉強からスタートしました。日本語話せる人はいないので英語を使ったセルビア語の授業でした。当時、英語もほとんど話せなかったので割としんどかったですが楽しかったです。

学校行きながら大学併設の合気道クラブにも入り、毎日のように稽古をしていました。ここで友人や兄のように慕う人と出会いました。今思えば、このときは修行僧のような生活でした。


知らぬ土地での居場所を作り、生活していくためのお金も必要だったので、仕事は色々やりました。モノの輸出入販売、オンライン転売、英会話コミュニティ、可能性があることは色々やっていました。とにかく生活資金が必要なので色々やりました。

生活に慣れ、周辺諸国を旅する中で、東ヨーロッパの食文化から日本のB級フードがいけそうだと思いました。特に、西ヨーロッパでも流行り始めたラーメンの流れがくるだろうと思い、店舗作りのために現地で法人登記を進める一方で逆出稼ぎという形で帰国しました。


(小原の元へ意外な人からの電話が)

帰国後、ラーメン店を経営する先輩のもとで修行を始めました。それだけでは生活できないため(後に社員になる)国際物流会社で働きつつ、土日祝はラーメン修行する生活をしばらく続けていました。詳細は割愛しますが、日本から10,000km離れた地で開業することの障壁は思ったより高いなーと感じていたそんな大晦日の日、突然山根から電話があったんです。
(ネオキャリアを退職してからあまり接点がなかったので、本当に唐突でした。)

「独立しようかと思っていて…小原さん興味ない?」

との電話でした。

なんで僕だったのかは「信用できるから」と1点のみで嬉しいものの、今考えると失敗しまくってる話しを耳にして心配だったから声かけてくれたのかな、とも思ったり思わなかったりしますが。笑

とりあえず一回会おうかと、電話から4日後に会いました。

そこでは、起業のための資金計画表が持参され、山根の性格、特に真面目さも知っていたため本気度を感じました。


ー30歳が節目だったという話も耳にしました。創業前に働いていた国際物流企業での話も聞かせてもらえますか?

理由もなく、ただ何となく30歳は大きな節目だと思っていました。
前職の国際物流の会社では、世界に数十カ所の拠点があるとのことで、違う角度から海外・セルビアを攻められるのでは?という考えもあり入社しました。
当時、契約社員での応募だったにも関わらず、最終面接でどれくらい働いたら駐在できますか?と聞いて、どんなに短くても3年はかかるし、そう簡単にはいかないよ。と言われ、3年もかかるのか。と世間知らずでしたので思いつつ、出稼ぎだから契約社員で1年程度は資金集めとしては十分期間だと思い25歳の歳に入社しました。

世界中へ輸出貨物を手配する貿易事務、その後はNVOCCという貨物の旅行代理店的な部署でセールスを行いました。倉庫現場、顧客折衝、海外現地での輸入品の荷受けまで物流の一連業務に携わらせてもらいました。

1年目のときに正社員として切替えていただき、海外駐在が現実的に。可能性を広げるために行うべきことは、現場から営業への部署異動でした。上司が僕のしつこいリクエストを最終的に聞き入れくださり、当時は最も駐在できる確率が高い(というより、タイミング次第?と言われていた)部署へ異動させてもらいました。わがままを聞いてくれて可能性を広げてくれた上司に本当に感謝しています。ただ、とあるプロジェクトの一員として長期出張させてもらった際、駐在が描いた自分の生き方ではないことがわかり方針を変えることになりました。

そうして、自然と山根への誘いを受ける環境が整ってきていました。

それから間も無く会社への退職届を出し、山根に

「退職決まったから、頑張ろうか」
と言いたく電話したところ、

ーーー山根は小原からの度重なる電話にもLINEにも応答せず、音信不通の期間およそ1ヶ月ーーー

「入院でもしてるのか?」「日本にいないのか?」「事件にでも巻き込まれたのか?」

そんなことを悶々と解決できない不安を抱える期間がありました。

僕のような状況になる人も少ないと思うのですが、
不安を通りこすと、不安の先がみえるんですよね。笑
この時、大事なことが見えてきました。

それは、

連絡くることを信じれないくらいなら、一緒に会社などやらないほうが良い。

というもので、今となっては笑い話ではありますが、この時間は僕にとって覚悟を決める大事な期間となりました。そうして、数ヶ月後に山根と創業しました。


ー人材業界ほぼ未経験からスタートということになりますよね、当時の状況など教えてください。

ベンチャー企業特化の人材紹介会社をやろうと決めて起業、僕自身は新卒時に多少経験がありますがやればできるだろう。と思っていました。人材紹介免許の認可がおりるまで空いてしまう2~3ヶ月の期間の過ごし方が最初のポイントでした。

「売上げがあがるまでは報酬は0」

ということを前提に創業(当たり前ですが)。色々と考え動き始めた中、山根の知人からスカウトメール代行の仕事をいただくことなりました。お仕事いただき翌日から朝7時からPCと向き合いスカウトメールの仮説検証を(死ぬほど)繰り返す日々をしばらく過ごしました。

その後、また別の知人より

「採用に困っている企業がある」

との連絡をいただき、事業会社への人事採用支援という形で現在のHRインキュベート事業を本格スタートするきっかけが出来ました。(これが楽しくやりがいがあった!)

当然ですが、山根・小原ともに人事経験なく、人材紹介としての知見をベースに人事としての経験を積み、現在も続いている課題ドリブンなスタイルが出来ました。

ですので、創業当時はまさに”修行”で、頭の中は四六時中がクライアントの採用のことだけ考えていました。会社として事例も少なく、ノウハウはありませんでしたので、壁にぶつかる度に解決しつづけることに必死でした。何が正解かもわからない中、仮説を立て、とにかくやれることを全てやっていました。

ー未経験から始まり、自身で”開花”したと思えたきっかけはありましたか?

開花という表現が正しいかわかりませんが、変わったきっかけは創業して半年経過したときです。
人事も人材業界もほぼ未経験でしたので、山根のアシスタントから始まりました。複数企業様の採用支援を行い2~3ヶ月経過後のことです、月次MTGのための出発 5分前、

山根:「今日のミーティング、小原さん一人で行ってきて。」

小原:「おぉ...それ、本気で言ってる?」
(山根:頷く)

僕はサポートという立場がこれまで主でしたのでこのときばかりは、突如訪れた機会に動揺したことをよく覚えています。

これをきっかけに僕が主たる担当になっていくわけですが、このときから山根のサポートではなくクライアントの採用担当として強烈な責任感を抱くようになりました。今考えれば、放り出されたこの経験が最初のターニングポイントでした。

最初は、質問されてもクライアントの前で明答できない、頼る相手もいない、でもしっかり価値提供したいので自分なりのベストを出し切るしかない。という想いと課題解決のスピードをとにかく早めることに注力していました。自力がつき始めるきっかけを得たのはこのときでした。

最初の担当企業となったクライアントとはこの後1年以上のお付き合いさせて頂いただけでなく、経験も無かった新卒採用も信頼して任せていただいことはとても嬉しかったですし、やってきたことが自信に繋がったきっかけとなりました。


※初受注のご連絡を受けている一枚(たまたま山根が撮影)


ー創業から2年目の時、何か掴んだことはありましたか?

1年半が経ち、メンバーも1人、2人と増え採用支援の仕組みも徐々にできてきたのが2年目でした。
まだまだ必死なときでしたが創業から2年がたち業務に慣れが出てきた頃、自分のレベルを一段ひきあげるためにグロービス経営大学院に通うことを提案してもらいチャレンジしてみました。ここでは知識のインプットだけでなく、視座の高い仲間もできました。

その他、特にポテンシャライトらしいと記憶に残ってるのは、山根と2人で昼飯を食べに行った2018年7月のことです。ちょうどこの時、仕事のお声がけも多く頂き、”業務”という意味では手が足りない状態のときでした。

それでも、

「なんか今、新しいことできてない感じしない?先月より自分達って何か変わったっけ?」

という話が出ました。個人的にもなんか落ち着いた感覚に違和感をもっていたところに課題提起が入りました。
これまで、日々の業務とは別に毎日必ず1つ以上の課題提起と解決をしていく。2人のルール設定から1年が経ちやや風化しつつあり、定常業務に気を取られて未来への投資ができなくなっていました。
このとき、感じたとは

”衰退”

でした。

双方で感じた何かしらのトリガーがあって事前に回避できたように感じますし、個人の現状維持は組織の衰退を意味すると改めて感じたときでもありました。

※先日お声がけ頂いた人事評価に関するイベントにて

ー3年経過した今、これからどうしていきたいですか?

あまり公開していませんが、これまで実は創業メンバーにも関わらず契約社員として働いていました。
個人的に創業メンバーだから役員になる。というのはあまりしっくりきていませんでしたし、まだまだ身に余るタイトルということは重々承知しながらも、3年という一つの節目を迎えて取締役を受けさせてもららっています。気持ち新たに、

社内に対しては、

「個が活き・組織が活きる」

そんな組織を目指していきたいと思っています。

ポテンシャライトという組織そのものを個が能力開発できる場とし、関わってくれたメンバーみんなにVUCA時代と言われるいまを行きぬく力強い人となってもらいたいと思っています。その結果それぞれのキャリアの選択が広がれば嬉しいですし、個人的にはそれぞれのキャリア選択を一緒に考えられるようになりたいと思っています。また、その新たな選択肢をポテンシャライトの中で一緒に作っていけるのが組織の発達にとってもいいと考えています。

クライアントに対しては、

Mission・Visionにもありますが新しいチャレンジをするベンチャーのために、常にアップデートされる採用市場において、価値提供をし続けられる存在でありたいと思っています。

これまで培ってきた採用ノウハウを詰め込んだSaaSもクライアント限定に導入させていただいています。これによって、これまで培ってきた人臭い部分とテクノロジーを融合して、一歩進んだ新しい価値提供をすることで年々難易度を増している採用市場を勝ち抜いていただき、事業を伸ばしていただくためのご支援をできればと思っています。


混沌とした今だからこそ、採用にドライブかけたい企業様、キャリアを見直したい方、お気軽にご相談ください!

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