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お客様も周りも自分も幸せになれるこの場所を守り続ける、HOTEL SHE,支配人

HOTEL SHE,OSAKAやThe Ryokan Tokyo YUGAWARAなどのホテルや旅館を全国で5施設運営するL&G global business には、多様な経歴を持った若い社員が集まっている。しかし、誰もが「ホテルで働きたい」という理由から入社したのかといえば、実はそうでもない。「企業風土に惹かれた」「人事制度を整えたい」「料理人としての才能を生かしたい」など、動機はさまざまだ。

そんな多種多様な背景を持つ社員を紹介する連載。今回はアルバイトから最年少でHOTEL SHE, KYOTO支配人に就任した笠井をご紹介します。

笠井明:1997年生まれ、大阪府出身。幼少期〜高校にかけてアメリカと日本を行き来し、両方の文化に触れる。学生時代はサッカーやラグビーなどのスポーツに親んだ。同志社大学スポーツ健康科学部在学中にHOTEL SHE, KYOTOでアルバイトを始め、大学卒業後はL&Gに入社。2020年2月よりHOTEL SHE, KYOTOの支配人を勤める。

日米両方のカルチャーの中で育った幼少期

ーーまず、生まれはどちらですか。

生まれは大阪です。生後すぐ、親の仕事の都合でアメリカのニュージャージー州に行き、5歳まで向こうに住んでいました。

ーーそうなんですか。それからは日本に帰ってきたんですか。

はい。小学校の6年生のはじめ頃まで日本で過ごして、また4年間アメリカに。中学校3年間と高校1年生の半分は向こうで過ごしました。アメリカは日本と違って夏から学年が始まるので、日本の高校はみんなと同じ4月に入学できたんですけど。それからは、自宅は大阪、高校と大学は京都で、ずっと関西にいます。

ーーかなり多感な時期に、両方のカルチャーに触れていたということですね。

幼稚園の時の記憶はほとんどないのですが、高校では最初かなり苦労しました。アメリカって、自分自身を知ってもらえないと周りに仲良くしてもらえない、他者に認めてもらうには自分を出さないといけない、という国なんです。それに慣れていたから、「高校でもそういう感じでいこう!」って張り切っていたらめちゃめちゃ浮いて、「あっ…日本ではダメなんだ…」って気づきました。高校デビュー失敗ですね(笑)。でも、帰国子女の多い高校だったので、自分と似たような環境に身を置いてきた人たちとはすぐ打ち解けられました。彼らとは今でも仲が良いんです。

ーー日本でもアメリカでも、ずっと取り組んでいたことや好きだったことはありますか。

スポーツはとても好きで、小学校の時サッカーをやっていたので、アメリカでもやっていました。

ーーアメリカで好きだったけど、日本にはないものってありますか?

ピザです!本当に食文化は違いますね。僕は今でもピザが好きなんですけど、やっぱり向こうのピザが恋しくなります。あとは、アメリカの体育の授業が好きでした。日本の体育の授業って、成果に応じて評価されますよね。持久走のタイムや幅跳びの距離などの記録が評価を左右する。一方、アメリカでは、頑張りに応じて評価されるんです。だから、成果を出せなくても、先生が「この子、頑張ってるな」って思ったら100点がもらえる。それがすごい素敵だと思いました。

ーースポーツに対する意識が結構違うのかもしれないということですね。大学では何をしていましたか?

同志社大学のスポーツ健康科学部に入りました。それこそ「体育の教育」を学びたくて。1年生の時は、トレーナーニングの方法から、医学、教育、歴史まで、スポーツについて幅広い分野で学びました。2年、3年、と学年が上がるにつれて、自分が学びたい分野を専門的に学んでいくんですけど、僕はやはり教育の方に進みました。

体育教員の夢を手放し、ホテルの世界へ

ーー当時はスポーツ教育関連の仕事に就こうと思っていたのですか。

大学に入った時は、安直に「体育の教員になってアメリカの体育みたいな授業をしよう」って思っていました。でも、僕のリサーチ不足だったんですけど、日本の教育のシステム的に、先生によって授業内容を変えられるわけではないということに気がついたんです。それならば、先生にはなりたくはないなと思って、大学2年生の頃から、将来について迷い始めました。

ーーちなみに、大学の時に好きだったことや打ち込んでいたことはありますか。

高校では新しいスポーツに挑戦したくて、3年間ラグビーをしていました。大学生になって、もっといけるんじゃないかと思ってボクシングを始めたんですけど、ちょっとハードすぎて1年くらいでやめてしまいました。授業が終わった後は、図書館で勉強したり、アルバイトしたり、高校時代の友達がシェアハウスをしてたので彼の家にいったり…今考えると、大学時代、もうちょっと色々なことして楽しんでおけば良かったですね(笑)。

ーーアルバイトは何を?

1年生の頃から2年間、ユニクロで働いていました。ひたすらレジを打ってました。繁忙期とかすごくて、1日の店舗の売り上げが1千万円とかいって…。ユニクロは、大学2年生の12月末頃にやめて、2017年の1月からこのHOTEL SHE, KYOTOでアルバイトを始めました。

ーー最初はアルバイトから始まったんですね。L&Gとは、どのように出会ったのですか。

高校の先輩がもともとHOTEL SHE, KYOTOで働いていて、「(笠井に)合ってると思うよ」って声かけてもらったのがきっかけです。それまでは僕自身は知らなかったんですけど。それで、面接を受けて、働かせてもらうことになりました。

ーー最初はどんな印象でしたか。

イメージしていたホテルと違いました。それまでホテルに行ったことがあまりなかったからなのかもしれませんが、ホテルって、ロビーは明るくて、スーツの人が微笑みながら立っているような、ちょっとかしこまった感じの空間を想像してたんです。でも、行ってみたらすごいカジュアルな感じのホテルで、驚きましたね。内装は薄暗くて、ネオン光ってて、「夜になったらロビーのライトの色変わるんだよ」とか言われて(笑)。面白そうだな、ここで働きたいな、と思いました。

ここなら、幸せを感じながら働けると思った

ーーそれから大学卒業まで、HOTEL SHE, KYOTOでアルバイトをしていたと思うのですが、就職活動はどうでしたか。

ホテルの社員さんにも相談乗っていただいたり、「こういうところいいんじゃない」と教えてもらったりもしていました。「うちもおすすめだよ」とも言ってもらいつつ(笑)。HOTEL SHE, KYOTOでアルバイトする中でも、就職について考えさせられる機会というのは多かったんですけど、しっかり考え始めたのは、周りと同じようなタイミングで大学3年生の頃。教員の道には行かないことは決めていたんですけど、最初はスポーツメーカーなども受けようかと思っていて、インターンも何度か行きました。でも、内定取るための就活になってきているように感じて、「大きい会社や有名企業に入れたところで、自分は幸せなのだろうか」と疑問に思うようになりました。そこから、自分の中で「幸せ」ってどう決められているのだろうと考え始めたんです。

ーー就職先に関わらず、「何をしていたら自分が幸せと思うか」ということですね。それを考える中で、何か気づいたことやヒントはありましたか。

正直、今でもはっきりとは分かっていないのかもしれません。ただ、友達や周りの人は、ワークライフバランスや給与とかを重視していたんですけど、自分はそうではないことには気づきました。仕事と休みを分けることは大事なことですが、「休みのために仕事する」っていう想像の学生が多いように感じて。今後、仕事が大半で休みの方が圧倒的に少ないのに、それでは毎日楽しくないですよね。だから、「楽しみながら生き生きと働いている人が多い職場がいいな」と思っていました。そして、自分が働いているL&Gがそういう会社だと確信したので、この会社に決めました。考え方や働き方が同じ方向性だったことはもちろん、HOTEL SHE, KYOTOで働き、翔子さんの活躍を見ている中で、僕自身もすごくホテルが好きになって、「いつか自分でもホテルやってみたい」と思ったというのも大きいですね。もし、支配人になれれば、本当に色んなスキルを身につけられるし、この会社に入って学べることやチャンスの多さは他には負けないだろうと思いました。

ーーHOTEL SHE, KYOTOでアルバイトされていた約2年間を思い返すと、どうでしたか。印象的なエピソードなどもあれば教えてください。

日々色んなことがありましたが、とても楽しかったです。印象的なエピソードか…。ロビーで電子レンジが爆発したことがありました(笑)。

ーーそんなハプニングもあったんですね(笑)。4月からは正社員になり、それ以降はずっと京都にいるのですか?

5月から1ヶ月間ほど富良野にいて、その後は層雲峡(HOTEL KUMOI)にいました。

ーーHOTEL KUMOIはどうでしたか。

特にオペレーションが一番大変な店舗だと思いました。料理人がいてキッチンから食事を配膳したり、こまめに温泉の湯温を測りに行ったり、他の店舗にはない業務も多かったんです。あと、圧倒的に館内が広い。ロビーも広いしお客様全員にちゃんと目が行き届いているだろうかとか、客室も多いしチェックインの数が多かったり。つい館内の情報で頭がいっぱいになって、常に頭を使っていましたね。だから、KUMOIを乗り越えてきた人は強いと思います(笑)。

ずっと憧れていた支配人として、学びと挑戦の日々

ーーその後、京都に戻ってきたわけですが、きっかけとしては2019年の「支配人総選挙」だったかと思います。各店舗の支配人になりたい人が立候補をして12月の社員総会でプレゼンし、社員全員が投票する。そこで、笠井さんが見事HOTEL SHE, KYOTOの支配人になりました。まず、立候補する時はどのような心境でしたか。

アナウンスがあった時から、「支配人になるとしたらKYOTOだな」と思っていました。ずっとKYOTOで働いてきたので、自分のスタート地点でもある京都でやってみたいなと思って立候補しました。これまで色々な支配人にお世話になってきて、それぞれ違うタイプでしたがお手本にしたい方ばかりで、「自分もそういう支配人になりたいな」という思いもありましたね。あと、京都の街も好きなので。

ーー入社してわずか1年たらずと、支配人としてはかなり早いタイミングだと思いますが、「今やってやろう」という感じだったんですか。

そうですね。「これ以外チャンスはないな」と思いました。

ーー総選挙の発表の準備などは大変でしたか。

大変でしたが、それ以上に楽しかったです。普段ホテルで働く中では、「自分だったらこうする」というようなことを考える機会ってあまりなくて。頭の中で思ってはいても、文字にしたり資料を作ったりすることがなかったんです。まず課題を見つけ、どういうチームを作りどうやって売上を上げるか、コストを下げるかなどを考えることは、もし総選挙で通らなかったとしてもいい経験になるなと思いましたね。

ーーその時、自分が支配人としてやっていくにあたりどういう店舗にしたいとか、自分にはこういう強みがあるとか、考えたことはありましたか。

経験の多さでいったら絶対他の人には勝てないし、そんな際立ったスキルもないので、すごい尖った強みがあるとは思っていません。ただ、店舗を良くしていくために、色々コミットできるという自信はありました。「自分はこういうことが好きだから、ここではうまくやれる」みたいな。例えば、お客様対応が好きだからそのノウハウを考えて店舗に落とし込もうという意欲だったり。

ーーHOTEL SHE, KYOTOの支配人になってちょうど1年ですが、どういう1年間でしたか。

総選挙でお話した内容はある程度遂行したいという気持ちはあったのですが、なかなかうまくできなかったな…と。やっぱり、しっかりプランを立てたからといって、それを実現できるというわけではないということが改めて分かりました。コロナはすごいイレギュラーなことですけど、そんな大きいものでなくても小さいイレギュラーって色々転がってたりしますよね。それを見越して計画を立てた上で、予期せぬ事態が起こった時にも、他の良い道を探すとかベクトル変えるとか、臨機応変に対応して柔軟に動けないといけないということ学びはありました。今年はそういうことを意識してやっていきたいなと思います。

ーーチームとしてはどうでしたか。

チームには、本当に支えらています。支配人の自分がうまくいかない時でも、責めたり見放したりせず、アドバイスをくれたり励ましてくれたりする人たちが周りにいるから、プレッシャーをそこまで感じずに1年間やってこれたのだと思いますね。

ーー良いチームですね。では、最後にこれからの抱負を教えてください。

12月からスタートして今取り組んでいる「ホテルのメディア化」というプロジェクトには、特に力を入れていきたいです。今回は、これまで取り組んできた施策以上に、店舗としてのゴールを明確に描きそれに向けてチーム一丸となってやっていこうと思っています。衣食住の伴う空間をホテルをメディアとして捉えて、ホテルの強みを最大限に生かした企画にしたいですし、それを通して、社会もいい方向に動かせられるようなホテルにしていきたいですね。

そのためには、去年満足にできなかった、スケジューリングやPDCAといった基本的なところの管理を徹底しなければと思っています。「攻め」は、自身というよりメンバーにどんどんお願いしようと思っていて、僕はチームの基礎をしっかり「守り」つつ、メンバーが最大限に力を発揮できるような仕組を整えていくつもりです。

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