第2話 ベトナムに単身やってきた

2007年2月にホーチミンのタンソンニャット空港に降り立った。
大洪水の様に降り注ぐノーヘルのバイク集団が、排気ガスまみれの空気をかき混ぜ、塵と誇りが舞う。ヌックマムの香りが、汚れた空気と強い日差しと相まって東南アジアにやってきた感情を掻き立てた。「ここから自分の人生がスタートするんだ!」強い思いでホーチミンの地に足をおろした。

ベトナムで起業するという思いを胸にやってきた自分は、意気揚々と少しの不安を持ちながらやってきた。とはいえ、取り急ぎすることといえば、当面は知人の会社のお手伝い。まずはベトナムに慣れなければと、会社のサッカークラブやホーチミン人文社会大学等の大学で行われている日本語クラブに行ったりする日々が始まった。

知人の会社には、既存の事業担当で入社しなかったため、来てみてわかったことだが、やることがない。ベトナムで意気揚々と活躍するんだ!とおもってやってきたものの、上司からの指示といえば、会社概要を持ち、売るサービスや商品もほぼ固まって無い中で営業することだった。

営業をほぼしたことのない自分が、誰にも教えられることなくアポを取り、会社概要を説明に行き、なにかのビジネスの種を見つけてくるという日々が続いた。
実際にベトナムにやってきても、付加価値をや仕事で成果を挙げられない日々が続いたことが最初の関門となった。雲をつかむような話ばかりで実際には何もやれてない。それでも大口叩いてベトナムにやってきて何もできずに帰国することはできないと、がむしゃらにベトナムで営業訪問を繰り返した。

当時、所属させてもらった企業のベトナム現地向けのサービス内容が固まってなかった事から、営業訪問を繰り返してもなかなか具体的な案件につながることがなかったのだ。

ベトナムという新興国に志を持ってきたにも関わらず何もできてない自分。新興国は物価が安く住みやすいのは反面、自分自身の給料も半分以下に下げた。ただ現実は物事が何も進まない。焦っていても仕方がないが、現実は何も好転しない。

2007年当時、20代中盤の同年代ビジネスマンや起業家の友人もほぼいなく孤独に感じることが多かった。営業先で会ったある年上の駐在員の方からは、明らかに蔑むように、君みたいな若い子がベトナムにまで下ってきて何するの?といった趣旨のことを言われたこともある。自分としては、新興国という荒野を開拓するアントレプレナーシップを持ってやってきたつもりだった。しかし、どうやら海外ビジネスをする日本人にとって、少なくとも当時はまだ東南アジアの弱小国の一つであるベトナムは出世街道では無かったらしい。

そんな悔しい気持ちを抑えながら、何とか形あるプロジェクトを立ち上げたりや商品・サービスをスタートしたいと思っていた。ようやく3ヶ月ほどしてプロジェクトが動き始めた。ベトナムの企業を日本に紹介する書籍を出版するべくコーポレート出版の企画が持ち上がったのだった。スポンサー探しを兼ねてベトナムの企業の営業開拓という目的ができた営業を開始することになった。

ベトナム人のアシスタントもいない状態で、企業開拓が始まった。インターネットで企業リストを洗いざらい探し、代表メール宛にひたすら日本からやってきた書籍出版の企画のためのアポ取りを英語でおくりつけ、猛烈に取りまくった。当時のベトナムは、まだまだインターネット回線が細く非常に遅い通信環境だったため、雨が降ったり日中になるとものすごく遅くメールの送信ボックスにひたすら送信待ちが重なった。それでも結果的にホーチミンに始まりハノイも合わせて、9カ月間で約300社、書籍企画前の訪問も合わせると400社以上の営業訪問を繰り返しベトナムの中にどっぷり浸かっていった。無謀なアポをとっていく中で、零細企業から大手建設会社の会長や当時有名だったITベンチャー起業家等のインタビューも取りけることができた。

この活動と同時に、ベトナムの企業を訪問する中で、ヒントを得ながら起業のためのアイディアを常に考える日々でもあったのだ。ベトナムの地で何をするべきかアイディアを毎日一つ出すことにしていた。実際に、書籍の企画で出会った二人のベトナム人経営者の話がヒントとなり自身の起業へとつながっていったのだった。

(3話へ続く)

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