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To Build Educational Infrastructure

1997年、IBMの「ディープ・ブルー」がチェスの世界チャンピオン「ガルリ・カスパロフ」を破る。

1990年代半ばに生まれたインターネットによって、「学習の高速道路」が構築され、まずは最高峰の知の戦いである将棋の世界に変革が起きた。

以下は2004年の記事からの引用だ

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本欄は将棋にあまり興味のない読者が大半だろうから、その話の詳細は割愛するが、

要は「情報の整理のされ方と行き渡り具合の凄さ・迅速さ(序盤の定跡の整備、最先端の局面についての研究内容の瞬時の共有化、終盤のパターン化や計算方法の考え方など)」と「24時間365日、どこに住んでいようと、インターネット(例、将棋倶楽部24)を介して、強敵との対局機会を常に持つことができる」という2つの要素によって、将棋の勉強の仕方が全く変わってしまった。

そしてそれによって、将棋の勉強に没頭しさえすれば、昔と比べて圧倒的に速いスピードで、かなりのレベルまで強くなることができるようになった。そこが将棋の世界で起きているいちばん大きな変化なのだ、と彼は言った。アマチュア最高峰までの高速道路が整備された。

僕は思わず、

「それで、かなりのレベルまで強くなるって、どのくらいのレベルのことをおっしゃっているんですか?」

と質問した。羽生さんの答えは、

「奨励会の二段くらいまででしょうか」

だった。制度的には、奨励会は三段までで、四段からプロ棋士になる。

ただ羽生さんの言う「奨励会の二段」の強さということをざっくりと解釈すれば、アマチュアならほぼ最高峰の強さ、現実の制度としてはプロ棋士の一歩手前、でも実際は弱いプロよりはかなり強い、そんなレベルの強さという意味である。

そのレベルまで強くなるための道具立ては、ITとインターネットによって整備された。

それを羽生さんは「高速道路が一気に敷かれた」と表現するのである。

「将棋の駒の動かし方すら知らない小学校高学年生が5年くらいでプロ棋士にまで駆け上がる」ということが将棋界では起きているそうなのだが、そのことは、天才・羽生善治をもってしても、

「自分たちの世代の感覚からすると、全く信じられないスピードなんです」

ということになる。

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2021年の今、将棋のプロという知の最先端に生きる人たち以外でどこまでTechを利用して学習しているだろうか。

我々コベツバは、プロ棋士に遅れること17年、ようやくほんの少しの限定的区間であるが「学習の高速道路」を建設したのだなと言えるようになった。

17年、あまりにも長い。

4Gが日本中に行き渡り、タブレットが行き渡り、動画を見る習慣が子どもたちにでき、家庭の中で子ども用のタブレットが一般的になり、ようやく、という需要サイドの話はあるが、それ以上に供給サイドの課題は大きい。

孫さんがよくおっしゃることだが、「検索とECと広告」だけしかIT化は進んでおらず、まだまだホワイトスペースは残っている。

それらは、X-Techという領域で呼ばれるが、当事者として思うのは、ぞれぞれのドメインの中でTech主導で解決できる問題は領域Xの中ではやはり限定的で、どこまでもXの知見を載せなければ本丸を貫く価値を創ることは難しい。そして、いつも思うのは、領域Xの達人たちは、「Techに載せる必要性を最も感じていない人種であることが多い」ということだ。

なぜなら、領域Xの達人たちは、Techの進化に関わらず、今も昔も報酬の意味合いでも社会的承認の意味合いでも十二分に満足しているからだ。今も昔もクライアントやユーザーから絶大な評価・感謝・承認を受け続けてるのだから。故に、Educationの領域においてもまたコロナ禍であってもアプリの5段階評価で1点代を取ってしまうサービスしかできていない現実に直面している訳だ、羽生さんが前述のように語ってから、かれこれもう17年も経過するのに。

再び当事者としての所感に戻る。

じゃあ、なんでやってるんだろう、俺は。

何十回と重ねてきた問だ。

「今のままだと、つまんない」

「今のままだと、限界がある」

「つまんなく、限界がある人生を何かの偉大なことに捧げたい」

というある種の厭世性やSTORY的な用語でいうなら、「自分(の人生)への理由のない期待」がセットになっている気もする。

鍵を握るのは、「今、心の底から満足できているか?」という問に対する答えなのだろうと思う。

一定の金をもらって、社会的に承認されるブランド組織に所属して、ユーザーやクライアントに承認してもらって、ゴルフして、仲間と馬鹿な話で盛り上がって、それで満足か?

「これで自分の物語は終わっていいのか?」ということへの本能的な拒否感、あるいは恐怖の問題じゃないか、と思う。

学年の切り替わりの前後である1月下旬に合間をぬって、雪山に登った。

ずっと地下に潜っていると、自然を恋しいと思うようになり衝動的に装備を整えて、衝動的に近くの雪山に突撃した。

体感的な感想はともかく、木でできた階段があること、ロープが引かれていることに衝撃を受けた。こんな名もなき山に、どこかの名もなき達人が階段を作り、誰かが落ちないようにロープを引いた。

すげえなあ。

俺みたいなど素人が転落しないように登りやすいように、登山の達人たちが1つ1つ、1箇所1箇所丁寧にやってくれている。

社会を変えることは、最初の段階を過ぎれば、インフラを作ることに等しい。それは登山をする人間の1人1人のことを考えて階段を作り、ロープを張ることに等しい。この努力を解像度を上げて、あるいは俯瞰して見ると本当に凄まじい。

人類は偉大だな、と思ったと同時に、インフラになりたいなら、階段を作る覚悟を持たなきゃならないんだよな、とも痛烈に思えた経験だった。そこかよ、という話だが、私にとってはそこだったのだ。

再び、Techと社会の進化の話に戻る。

頭では簡単。でも現実には難しい。外野からの簡単に見える、でも実際にやると途方もない努力を求められる。

子どもが「万里の長城作ったらええやん」というのは簡単、でも実際に作るのは高い解像度で継続的なプロの努力を必要とする。

結局は、その覚悟の有無だけの話なんだな、とも思った。故に、真似したくてもできないものができるわけだ。

好きでやりたくて始めても、熾烈な最前線にずっといれば、どんな達人であっても「きついな、だるいな、休みたいな、まだ走らせんのかよ」と思う瞬間は度々訪れる。

かのスタジオジブリの宮崎駿監督のめんどくさい(https://www.web-freelance-life.com/?p=538)は、非常に有名な話。次元が違うかもしれないが、心から共感する。

そんな時に、「あの雪山の階段を作った名もなき英雄の誰に知られることもない不断の努力」を思い浮かべて、勇気をもらい、再び戦線に戻るわけだ。

おかげさまで、中学受験コベツバは3期に入りました。

https://chugakujyuken.kobetsuba.jp/article/gokaku_2020.php

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