出会いと決断の連続で辿りついた創業の原点 -スタークス創業ストーリー Part2-

Part1では、起業家になることを決意したところまでお話しました。起業家になるまでのプロセスに、正解はありませんが、私自身の経験も、将来経営者になることを目指しているような大学生や若手の社会人の方にとっても役に立つのではないかと思い、起業を決意してから実際に起業するに至るまでの間に何があったのかお話ししたいと思います。

起業家を輩出する企業、ファインドスターとの出会い

起業家になることを決めた私は、どうやってなるか、ということを考え始めるわけですが、そのときに出会ったのが、今となってはもう記念碑的な古典になっているサイバーエージェント代表藤田さんの最初の著作『渋谷ではたらく社長の告白』です。藤田さんも大学時代に起業を志しているのですが、すぐに起業はせずにインテリジェンス(現パーソルキャリア)に就職しています。

今の大学生はインテリジェンスを、有名な大企業の一つとしか思わないかもしれません。でも、藤田さんが入社した当時のインテリジェンスは、リクルートやリクルートコスモス(現コスモスイニシア)出身の4人の経営者が創った、まだ100名前後の名もないベンチャーです。藤田さんは新卒の若手にチャンスと裁量がある環境を選んだことで、結果的にその活躍がインテリジェンスの経営者だった宇野さん(現USEN-NEXT HOLDINGS代表)の目に止まり、宇野さんからの出資を受けてサイバーエージェントを創業します。これを読んだときに、起業するためのキャリア形成のイメージが湧きました。

早速、会社を探し始めます。藤田さんが入社したころのインテリジェンスのように小規模で急成長しており、短期間で力をつけた若手を起業家として輩出するような会社はないかと

当時、ベンチャーは新卒採用ブームで、起業家志望の学生を積極的に募集している会社はたくさんあったのですが、どうも自社の採用のために言っているだけに感じられる会社ばかり。ただ、そんな中で出会ったファインドスターには、なにか違いを感じました。

         入社当時、従業員20名ほどだったファインドスター(曙橋オフィス)

ファインドスター代表(当時)の内藤さんもインテリジェンスの創業者たちと同様にリクルートグループ出身。「自分はリクルートという会社が好きだ。自分が入社したリクルートのように、ファインドスターから起業家を多数輩出したい」と会社説明会で語る内藤さんの言葉は本気で、そして純粋にそうしたいと思っているように感じられました。最終的に、その内藤さんの想いを信じ、ファインドスターへの入社を決意しました。

2回挑戦した新規事業の挫折と成功

ファインドスターに新卒入社した私は、入社していきなり新規事業部署に配属されるというチャンスを得るのですが、後に経営者としての考え方を決定づけるような挫折を経験します。

当時、ファインドスターは紙媒体の広告が主力事業。私に任されたのはインターネット広告の領域で新たな事業を立ち上げる、というミッションでした。ただ、実際に立ち上げてみると広告商品も顧客もまるでフォーカスが曖昧で、なんでもやります!というだけの、なんの強みもない事業になってしまい、わずか9ヶ月で撤退することになります。若かった自分は最後まで納得できず何度も事業継続を会社や役員に食い下がったのですが、今考えればまるで勝ち目のない状況でした。

PayPalの創業者であり初期のFacebookの投資家でもあるピーター・ティールは、著書『ゼロ・トゥ・ワン』でも繰り返し、ターゲットを絞り、ニッチな市場を独占することで、収益性の高い事業を創ることの重要性を説いていますが、まさに真逆。ターゲットを絞らず、市場に多数いるプレイヤーの一つとなってしまったことで、低収益に苦しんだわけです。この失敗以来、必ず事業はフォーカス(一点突破)してから拡大することが必要だと考えるようになります。

それから3年後、既存の主力事業でマネジャーになっていた自分に、神様のいたずらなのか、失敗したインターネット広告に会社として注力することになり、「インターネット広告に再度チャレンジしないか?」と自分に声がかかったんです。正直悩みましたが、でも、これを成功させられなかったらきっと起業もできないだろうと覚悟を決めてリベンジすることを決心します。

今度は、3年前とは真逆で、思いきりフォーカスを絞りました。伸びているインターネット広告市場の中でも、広告枠が売れ残っている媒体を安価に買い占めた上で、その広告枠で最も効果が出そうな顧客に成果報酬(アフィリエイト)で販売する、という形です。今でこそ「純広告の成果報酬型モデル」というのは当たり前にありますが、当時はまだこのやり方に着目した企業はありませんでした。そして、誰に何を提供するというフォーカスを絞ったことで実際に高い収益を上げることができ、今度はインターネット広告事業を成長軌道に乗せることができたのでした。

震災の翌日に決めた退職と起業の意思

新規事業が軌道に乗り、本格的な事業拡大のフェーズに入ろうとしていた2011年、決定的な出来事が起こります。3月11日の東日本大震災です。

東京にいた自分は何不自由なく生きているのに、東北では一瞬にして、1万人以上の方が無条件にただそこにいたというだけで命を落とす状況を目の当たりにしたときに、亡くなった一人ひとりの方が目指していた未来、抱いていた夢、それらがすべて失われてしまったということに愕然としました。

             被災から1週間後の三陸海岸(2011年3月18日)

同時に、震災を生き残った自分は、亡くなった方々の分まで、未来を向いて、挑戦できるし、しなければならないとも思いました。震災で亡くなった多くの方の未来は失われてしまったのに、自分に残されている未来に対してなんで自分は挑戦しないのか、そう思った私は、震災の翌日には会社に退職して起業する意志を伝えてしまっていたのです。

この時の決断は、今でも後悔していませんが、会社からすれば新たな事業を立ち上げている責任者が退職するというのですから、普通に考えてとんでもない事態ですよね。こんな自分を気持ちよく送り出してくれた当時の上司だった渡邊さん(現ファインドスター代表)と最終的に出資までしてくれた内藤さん(現ファインドスターグループ代表)には本当に感謝してもしきれません。

28歳の孫正義に出会い、スタークスの原点が決まる

起業を決めた私でしたが、一晩で決意したことですから、そもそも何をやるのか、やるべきなのかというのは全く決まっていません。それにもかかわらず、会社と話し合い、1年3カ月後に退職することだけは決まりました。退職日までのタイムリミットが近づくなか、どんな会社を作りたいかを考え抜く日々が始まります。

どこに目標を置くかで全てが決まる。より大きな目標を設定しよう。自分が知っているなかで最も成功している経営者は誰か?と考えたとき、経営者として目標になるようなロールモデルとしてソフトバンクの孫正義さんが思い浮かびました。

当時、すでに孫さんは、飛ぶ鳥を落とす勢いでソフトバンクを成長させていて、簡単に会えるような存在ではなかったのですが、起業を決意したことを昔からお世話になっていた通信関連事業を行なっているディ・ポップス代表の後藤さんに報告すると、「これは自分が起業したときにとても役立った。上ノ山君にプレゼントするよ」と1枚のCDを渡されました。


         「孫正義のシェアNo.1獲得戦略」日本経営合理化協会出版局 (1986)

そのCDは、孫さんがちょうどその当時の自分と同じ28歳(1986年)のときの講演を収録したCDでした。そのCDの中で孫さんは起業のストーリーと将来のビジョンをとても28歳とは思えないくらい堂々と語っているのですが、中でも特に印象に残ったのは

「伸びている市場で勝負する」

「No.1が狙える領域にフォーカスする」

「情熱が持てる仕事であること」

という3点でした。

「No.1が狙える領域にフォーカスする」はまさに自分自身ファインドスターでの新規事業の失敗と成功を通じて得た「フォーカスを絞り、独占して収益性の高いビジネスを創るべき」という体験そのものです。そして「情熱が持てる仕事であること」という点は、Part1でも触れたように自分自身の原点である「世の中の不条理や不合理を変えたい」という想いにぴったりと重なりました。こうして28歳の私は、28歳の孫正義に出会い、スタークスを創業の原点を定めます。

いよいよ次回Part3では、創業から現在に至るスタークス激動の5年間をお話したいと思います。

Part3「スタークスが目指す”世界中の社会課題を解決する未来”」へ続く

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