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CTOと主夫を両立するエンジニアが名古屋で創業するまで

株式会社スタメンに入る前

■はじめに

ちょっと長いのですが、自己紹介を兼ねてこれまでの仕事を振り返ってみました。私の価値観やその背景となる出来事についてご理解いただけましたら幸いです。

ここでは割愛した詳細や裏話もたくさんあります。気になったことがあったり、続きを知りたいと思っていただけましたらご連絡ください。

■ヤフーに新卒で入社し、ITベンチャーの先輩たちに出会う

思い起こせば、私の人生の転機は2001年に新卒としてヤフー株式会社に入社し、インターネットを世の中に広めることに熱狂している先輩たちに出会ったことでした。

私の「ITベンチャーで働くことが好き」という価値観はこの出会いが決定的でした。

ヤフーに入社するまで、情報系の大学院で学び、インターネットは身近な存在であったものの、インターネットベンチャーで働くことは全く想像できませんでした。

2001年当時のヤフーは、まさにインターネット普及期。ヤフオクのヒット や Yahoo!BB をはじめとしたADSLの普及によって、 急速にインターネットの利用者数が増えていた時期でした。

当時のヤフー社内は、毎日がお祭り状態、インターネットの普及に邁進しつつ熱狂していました。そこで働く先輩たちは、企画や技術といった専門性に加え、目標の高さや仕事に対しての姿勢などでプロ意識が高く、少人数の開発で大変な中でも、真剣なのに本当に楽しそうに笑顔で仕事をしていました。

こういった尊敬する先輩たちに出会い、同じチームで仕事をする中で、世の中にダイレクトに影響を与えられるインターネットに魅了され、ITベンチャーでエンジニアとして仕事をすることが天職だと思えるようになりました。

ただ、社会人として仕事をはじめて何年かした頃、成功している会社の末端のエンジニアではなく、より小規模のスタートアップベンチャーで自分の実力を試してみたいと思うようになります。

■創業期のグリーへ転職しエンジニアチームのマネジメントを行う

そして、2006年2月、当時社員数10名ほどだった創業期のグリー株式会社へ転職しました。転職活動をする中でいろいろな出会いの中からグリーに決めた理由は、「すでに成功している会社ではなく、これから成功するこの会社でチャレンジしたい」と思えたことでした。

2006年、SNSとしてはミクシィが急速に伸びており、GREEは劣勢にありましたが、中にいる人たちは、若くて、明るく、各分野で専門性が高く、非常に高い目標を持ったプロフェッショナル集団でした。この人たちとなら「必ず成功するまでがんばれる」と確信しつつ入社したのをよく覚えています。

自身のキャリアについても、グリーへの転職は大きな転機でした。

グリーはSNSから、モバイルへの転換をし、ソーシャルゲームへと事業が急速に変化しながら拡大していました。その過程で、エンジニアチームも急拡大しており、エンジニアチームのマネジメントの必要性が急速に増していました。

当時私は30歳。エンジニアで30歳前後といえば、エンジニアのスペシャリストか、マネジメント方面、もしくは、企画職などの事業方面といった複数のキャリアパスで悩まれる方も多いと思います。

入社時はスペシャリストとして技術力で会社に貢献したいと考えていましたが、グリーの若くて優秀なエンジニア陣と仕事をする中で考えも変わっていきました。

入社して半年後ごろには、グリーが成功するためにこれまでのエンジニア経験を活かして、チームが少しでも良いプロダクトを開発するために支援することが、私にできる最大の貢献だと思えるようになります。

入社1年後には、完全に開発の現場から離れ、開発部門のマネージャーとして、プロダクトの開発と運営のためにできることは何でもすることになりました。

創業期のベンチャーが上場するまでの重要な時期に、経営陣と現場チームとの意思疎通、組織や制度の立案と運営、採用や評価などの人事、部門間調整、プロジェクトマネジメントなど非常に多岐にわたる経験を積むことができました。チームで仕事をすることのやりがいを最も実感できた日々でした。

ところが、 2011年2月、グリーがソーシャルゲームで急成長しつつ、ソーシャルゲームプラットフォームとして国際化を試みていた中で突然想定外のことが起きました。妻が体調を崩し、グリーを休職することになったのです。

■妻が体調を崩し愛知へUターン

プライベートでは、2010年5月に娘が生まれていました。

当時、グリーは、さらなる発展を目指して海外展開を検討していた時期でした。今思えば、100名を超える部門の運営、競争が激化するソーシャルゲーム市場、海外展開といったこれまで経験したことのない難題に取り掛かる中、私自身の気持ちの余裕がなかったのだと思います。

私は知り合いの少ない東京で初めての育児に心身で苦労する妻をサポートできず、妻は逆に私の仕事に支障が無いように懸命に一人で頑張ろうとしていました。

妻が体調を崩した後、実家の義母に上京してもらい、家庭を手伝っていただいていましたが、さらに、2011年3月11日 東日本大震災が発生しました。

震災直後の混乱・不安もあり、義母も慣れない東京での家事で疲労がたまる中、業務でも震災の混乱に加えて、国際化を見据えた海外オフィスの展開などが急速に進み、もはや、家庭と仕事をバランスすることが難しいと感じるようになりました。

こういう状況になって初めてライフワークバランスの重要性に気付かされました。加えて、会社では組織で仕事をするため自分は One of Them であるべきですが、家庭では、夫として父親として、Only One であることを痛感したのです。

仕事と家庭の両方が切羽詰まった状況の中、両方ともを中途半端にするのではなく、ちゃんと家庭に向きあおうとグリーを休職し、妻の体調が安定するまで主夫に専念することにしました。震災直後で家族が大変だったのは他の社員の皆さんも同じだったと思いますが、当時はみなさんの支援に頼る以外に選択肢がありませんでした。助けていただいたグリーの社員の皆さんには本当に感謝しています。

2011年の秋には妻の体調も随分安定しましたが、主治医からは療養には時間がかかることを伝えられます。そして、2011年に起きたいろいろなことを踏まえ、10年後、20年後のことも考え、グリーを退職し私と妻の実家がある愛知県へUターンすることにしました。

■エイチームへ転職しITベンチャーに戻る

愛知県での仕事は、ネットベンチャーに限らずキャリアの幅を広げてみようと幅広く検討し、中古書籍のオンライン買取・販売で業界トップシェアのネットオフ株式会社に入社を決めます。

ネットオフでは、書籍の在庫管理の仕組みなど、ネットとリアルが交わった事業の経験を得られましたが、業界を離れてみて改めて自分の価値観がITベンチャーにあることに気付かされ、再びITベンチャーに戻りたいと思うようになります。

2013年4月 エイチーム株式会社に入社し、グループ子会社の株式会社エイチームライフスタイルにて、開発や新規事業案の立ち上げなどを行いました。エイチームは、2012年4月に東証マザーズへ上場した後、8ヶ月弱という史上最短期間で東証一部上場を達成した名古屋を代表する急成長中のIT企業です。エイチーム社員の個々の能力はもちろん、チームワークにも優れ、若い人たちが新しいアイデアを次々に実現していくのを見て非常に刺激を受け、初心に戻る思いでした。

ところが、2015年6月末、妻が再び体調を崩し入院することになります。

この時の挫折感はグリーの時以上でした。若い社員の人たちのロールモデルになれたらと自身で企画した新規事業を立ち上げた直後、まだ成果も全く出ていない状態でチームを離れることなり、本当に申し訳ありませんでした。「後は任せろ」と言ってくださったエイチームライフスタイルの皆さんには感謝しきれません。

夏が終わるころには妻も退院し以前の生活に戻りつつあり、今後の仕事について考える余裕も出てきました。これまで、食事や幼稚園の送迎などで実家に頼りながら仕事をしていましたが、両親も高齢になってきたこともあり、このタイミングで働き方を再び見つめなおす事になります。

当時38歳。40代の仕事を見据えて個人事業主として独立することになります。個人事業主の屋号を「ライフワーク」としたのは、この仕事を天職とし、生涯の仕事としたいとの思いからです。また、ライフとワークの双方を両立したいとの思いもありました。

■理想の働き方を求めてスタメンの創業に参加

ところが、個人事業主として活動してみると、働き方としては自由が効いてありがたかったのですが、やりがいについて悩みはじめました。

これまでのITベンチャーでは、大きな目標に向かってチームで一丸となって仕事をし、事業、組織、個人の成長を実感しながら、世の中に大きな影響を与えることにやりがいを感じていました。個人事業主として一人で活動してみると、喜怒哀楽を共にする仲間の存在がいかに大きかったのかを思い知りました。「一つの会社の中の人として仲間たちといっしょに大きな仕事したい」という思いが強くなってきました。

「このまま個人事業主として活動し続けるのか?」そう思っていたタイミングで、スタメンの創業を準備していた加藤にランチに誘われ、スタメンの創業に誘っていただきました。

ライフワークバランスを求めて個人事業主になったのに、取締役CTOとしてスタートアップベンチャーの創業ができるのか? 自問自答しながら悩んだ末の結論は「自分の価値観に正直に、働きやすさと仕事のやりがいを追求する」でした。

ベンチャーでの仕事はハードワークが続きますが、必ずしも深夜残業や休日出勤だけが解決策ではありません。いままでよりも、計画的に、効率的に、これまでの経験を活かして最大限生産性を高めることで成果を出し続けたいと考えています。また、各種クラウドツールの発達により、自宅でできる業務も随分広がってきました。こういったツールを使うことによって、夕方早めに帰宅しても、夜に開発や打ち合わせに参加することもできます。こうやって家庭と成果の最大化を両立することが私のライフワークバランスです。

家庭を妻に任せて一心不乱で仕事することよりも、若さに任せて不眠不休で仕事することもよりも、家庭と仕事を両立しながらベンチャーで成果を出すことは難しいように思えますが、家庭があっての仕事ですし、仕事の先に家庭が崩壊するならば大きな後悔が残ると思います。何よりも、良いエンジニアでありながら、良いパパでいたいですし。

これまでとは違った難しさ、苦労があるかと思いますが、これを乗り切れたら全部ハッピーだと思ってがんばってみたいと思っています。

現在

現在、私はスタメンの取締役CTOとして、サービスの開発・運営に責任を追っています。

代表の加藤は新規事業の立ち上げ経験が豊富で優れた事業アイデアと情熱的なトップ営業ができます。取締役の大西は、海外拠点の立ち上げ経験もありながらも、マーケティングも営業もデザインもできてしまいます。

そんな二人が作ったアイデアをカタチにして世の中に提供するのが私の役割です。のび太の希望を叶えるドラえもんみたいな存在になれたらいいですね。

また、エンジニアチームのトップとして、スタメンで働くエンジニアの皆さんが、サービスの開発を楽しみ、エンジニアであることを誇りに思えるチームを作りたいと考えています。そのためにも、私自身が、エンジニアとして良いサービスを構築し、自分で(こっそり)誇れる仕事をすることが直近の目標です。

家庭面では、朝に娘を幼稚園に送ってから出社し、夕方に帰宅して夕食を作って家族で食べ、娘が寝てから夜寝るまで仕事をするといった毎日です。エンジニアの律儀さなどの特性は、レシピを再現するのに役立つんですよね、料理は得意です。

仕事と家庭で、思考を切り替えるのは大変ですが、計画的に、効率的に、情熱的に、楽しみながらがんばってみようと思います。

以上が小林のスタメンに入社するまでの経緯と現在です。こんな私がいる株式会社スタメンに少しでも興味をもっていただけましたらこちら からぜひ応募してください。いい会社は採用から始まる、あなたのご応募をお待ちしております!!

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