いつも人生の分岐点で『やっかいな方』を選んでしまう。

就職・転職に対して真剣に考えているあなたのために、
自分の過去を振り返りながら感じたことや、
人生の分岐点でどんな選択をしてきたかをお伝えしたいと思います。

これからは時代の変化のスピードが上がり
“暴走”の領域に入るかも…。
ブレない哲学を持たない限り“キョロキョロしてるだけで、
あっという間に人生が終わりそうな気がするのです。

(読了目安:約 5 分)

わたしにはいろんな転換点がありました。挫折もありました。今も深い悩みがあります。
だけど、悩みの雲を突き破って光り輝く“価値ある何か”を遺したいのです。
ただ、自分ひとりのチカラは限られています。
だからこそ同じ価値観をもっている『おもしろい人』を探しているのです。

このコラムは、あなたに「こんなヤツでも生きてるんだな」「下には下がいるな」と感じてもらい、
これからの転職・就職活動に弾みをつけてもらうために書いたものです。


★人生はたとえ予定通りに進まなくても、どうにでもできると思います★

ターニングポイントその1【進学】

古い話で申し訳ないですが、中学校の美術の時間、いわゆる不良生徒に
制服の背中にべっとりと黄色い絵の具を塗られ
「毎回こうされるのがイヤなら今度、金を持ってこい!」とカツアゲをされてしまうほど
おとなしかったわたしですが、なぜか 1 円もお金を払うことなく解決できました。
小学生の時から絵を描くことが大好きで、温厚で優しそうだと言われる私でしたが
過去に2回だけ取っ組み合いのケンカをしたことがあります。どちらも負けませんでした。
というか周りに引き離されるまで戦い続けただけです。一歩も引く気がなかったのです。

当時、ケンカをしたふたりは、それぞれ『極みの道』へと進学してしまいました(笑)
ちなみに、そのうちのひとりはもうこの世にはいません。
相手がどんなに強そうでも、怖そうでも権力があっても関係がありません。
特に自分より弱い人に対して威張るヤツをみると虫酸が走るのです。

ただ20代になってバッチリ刺青の入った10名ほどの集団に土下座している人を笑顔で助けに行ったら
逆にぐるりと囲まれバコンと殴られ、人生初の鼻血を出してからは少しは大人になって、
何かあれば黙って警察を呼ぶというスキルも身につけるようになりました。笑

選択A【担任に“絶対に無理だ”といわれると“無理じゃねぇし”と思う】

高校の進路相談で
当時の担任に「美術大学に行きたい」というと
鼻で笑いながら「無理だ。次元が違う」と言われてしまいました。
なんだか無性にムカついて、逆に進路を美術大学だけに絞りました。
ま、現役合格なんてできるわけもなく当然のように浪人生活がはじまります。

高校を卒業後すぐに上京して右も左も地下鉄の乗り換えもわからないまま、
肉体労働のバイトでお金を稼ぎながらの浪人生活を経て、
運よく第1志望の多摩美術大学のグラフィックデザイン科に合格できました。
結局、ただの自慢話ですが
志願者がおよそ3,000名いた中で『デッサン』が満点だったことを後から知りました。

「次元が違う、無理だ」と嗤ってくれた先生をはじめ
いろんな葛藤があったからこそ、逆にがんばれたのだと思います。
振り返ると、とってもありがたいことです。感謝しかないです。
そして、貶されようが褒められようが、結局「自分次第なのかな」とも感じました。
その時から誰かに『無理だ』といわれても
それを受け入れるかどうかは自分で決めるようになっていったのかもしれません。

選択B【“今の実力は無視して行きたいところ”を選ぶ】

ただ、その後の4年間を楽しく過ごした多摩美時代を経て
今度は就職浪人をすることになってしまいます。
大学4年の時に教授の紹介で決まっていた表参道の広告系デザイン会社を丁重にお断りして
見事、日々パチンコ三昧のクズみたいな生活に落ちぶれます。
理由はラフォーレ原宿で行われた卒業制作展で、私が作ったエコロジーをテーマにした作品に対し
スウェーデン人のジャーナリストに大げさなジェスチャー付きの英語で
「広告デザインなんかやってるクセにエコロジーなんてバッカじゃねーの」的な
言い返すことができない矛盾をつかれたからです。音を立てて私のハートが壊れました。
まさにガラスのハートだったんですね(笑)一瞬で自分の選んだ進路に自信が持てなくなりました。
『純粋バカ』のハートが木っ端微塵に砕け散ったのです。弱いしダサい(笑)
次男に養ってもらうヒモのような生活。クズの極み。
やるべきことを先延ばしするだけの日々。
だからわかるんです。引きこもっちゃう人の気持ちが…。


『オレはまだ本気出してないだけ…』っていわんばかりの情けない奴。
成功できない奴の典型。オレは『人間失格』太宰治か(笑)

ターニングポイントその2【就職】

約1年後に就職活動を本格化させ、気負いすぎて白紙で出ししまった実技試験を挽回すべく、
社長に手紙を書いて無理に参加させてもらった3次面接で大爆笑をとり、
ノリと勢いと運で、雑誌や書籍のデザインでは、最大手の会社に拾ってもらいました。
後日、その会社の社長に「君は実技試験が白紙だっただけでなく学科もボロボロだったんだよ」と
言われた時は本当に自分は、運だけだなと思いました(笑)

ふりかえると就職活動が軌道に乗り始めたころにどういうわけか、
実家の建築鈑金の工場がピンチになり、
なぜか「親孝行ができないヤツが一流のデザイナーになんかなれるか!
という心の声が大きくなっていきました。
基本的に脳ミソが単純化されているので
「じゃ、就職活動と親孝行を両方やろう」と肚を決めました。
新潟の灼熱の屋根の上で、動き回り、足場組んで、溶接して、4tトラック運転して、
就職活動に東京に行ってまたすぐ新幹線で帰るみたいな…。
しかも約半年間休日が全くなし…。
まさにメラメラと燃えさかる全身火の玉のようでした(笑)

そして今は無き圧迫面接で、真っ黒に日焼けした自分の顔と
建築板金という親の職業までディスられた時

なぜかムッとするのではなく「ですよねー!」と
手を叩き大爆笑して、その場の空気が完全に変わりました。
その後、わたしの話をきちんと聞いてもらえるようになりました。

選択C【“就職活動”と“親孝行”の両方をやり切ると決める】

で、運よくなんとか入社します。
入社してからはマガジンハウス、日経BP社、電通総研、旧建設省などなど硬軟織り交ぜた仕事を
担当することができ、とてもいい経験をさせていただくことになります。
せっかく苦労して入った会社なのでがんばりました。
その会社での最後の年はだいたい、
他のデザイナーの3倍の仕事量(ページ数)をこなしていたかと思います。

ちょうどその頃は「この会社から全部、吸収してやる」と肚が決まっていたので、
むしろ楽しくて仕方がありませんでした。給料はビックリするほど少なかったけど…。
今考えると入社希望者がひっきりなしに来る会社でしたから給与を上げる理由がない(笑)

むしろ給料は低くてよかったのです。なぜなら下手に満足しなくて済んだから。
将来を考えるきっかけができたから。
きっと若かったからですね。若さってスゴいんですよ。
だからわたしは若くて前向きな人に期待しています(笑)
そしてそんな人たちに一刻も早く満足してもらえる会社にしたいとも思っています。

ともかく大変な時に拾ってもらった恩のある会社に待遇で文句を言うのはかっこ悪い、
文句を言うなら自分でやろうと思い、
入社からちょうど5年経ったときに独立することになります。

選択D【職場は“待遇”ではなく“実力がつく会社”を選ぶ】


ターニングポイントその3【退職・結婚】

独立したのは30才ーー。結婚後、約2ヶ月での退職でした。
不思議なことに妻の親からも自分の親からも全く反対はされませんでした。
しかも円満退社だったので、辞めた会社からもたくさんお仕事をいただきました。
そして幸運なことに独立から約3ヶ月後に知人の紹介で、生意気ざかりの30才の若造が
日本最大級の発行部数を誇るクライアントのお仕事をさせていただくことになったのです。

選択E【結婚からたった2ヶ月で“会社を辞める”】

今もつづく、そのお仕事と読者のみなさまに感謝の念は尽きません。
もうすぐ20年が経とうとしています。これは異例中の異例の出来事です。

ただ、その当時から意識していたことはただひとつ
『すべてにおいてクライアントの期待をちょっとでも上回ること』です。
そして『あたりまえのこと』も徹して守りました。
私がほぼひとりで担当していた約10年間、
たったの1度も打ち合わせに遅刻したことはありません。
電車のダイヤが乱れても遅れないように、余裕を持って行くだけなんですけどね。
そんなことの積み重ねは一見ムダなようですが、大切にしてきました。
締切も基本、前倒しで納品しました。
『建設は死闘、破壊は一瞬』という言葉もあります。
ま、ここら辺のことをスタッフに教えるのはとても難しいんですけどね。
あんまりいうと「うるせーなー」という顔をされます。笑

人に恵まれ、仕事にも恵まれ独立から10年間は順調に売上が伸びつづけていきました。
紹介だけで勝手に仕事が増えていきました。
営業なんてしたことはありませんでした。
広告宣伝費がほぼゼロで営業利益率がおよそ95%の仕事です。
経済的にはかなり恵まれていた方だと思います。

そんな時です。なぜか仕事で困っている人がちょいちょい私の前に現れる…。

「今いる会社がリーマンショックで潰れそうだ」とか
「突然クビになった」とか「デザイン料が下がりすぎて、もうデザイナーを廃業することにした」とか
年賀状に「いろいろあって仕事を辞めました」とか
さらに「子どもがいるので再就職ができない」とか「震災で上京して職を探している」とか…。

結局、入れ替わり立ち代わりで相談されたほぼ全員を雇用しました。
そういった人たちになんとか活躍の場をつくれないかなという思いもあって
新しい事業部をいつの間にか作っていました。
それが『デザインのぼりショップ®事業部』です。

選択F【“自分の利益”でなく“みんなの利益”を選ぶ】

↑この選択に関してはキレイごとすぎて
後にリアルに吐くほど苦しむことになります(笑)でもいいんです。別に(笑)

ターニングポイントその4【子どもの障がい】

そして時を同じくして“私の使命は雇用をつくること”なんじゃないかと考えるようになりました。
実は不妊治療の末、生まれてきてくれた待望の長男が重度の脳障がい児だったのです。
10歳になる今でもほとんど話せないし、
満足に歩けないけど笑顔が超絶かわいいひとり息子です。

そんな我が子と毎日接していることもあり
自分のなかでは社会的弱者、特に知的障がい者雇用をつくりたいという想いが
少しづつ大きくなっていきました。
そんな子どもたちの未来とその親のことを考えざるをえない日々が続いたのです。
いや、今も私の脳裏から離れることはありません。
そしてこれからもずっと…。

で、当時記した新規事業の条件として

1.デザインのチカラで働きたいのに働けない人の雇用をつくれるもの

2.ストック収入のビジネスモデルで時代を超えて必要とされつづけるもの

3.主に小規模事業者中心にメリットをもたらすもの

という3つを満たすものとして、まずはのぼり旗制作事業を始めることにしました。
そして2011年にその準備のために意図的に赤字に転落させ会社の方向性を変えるべく、
のぼり旗制作という『ザ・斜陽産業』へ向かって大きく舵を切ったのです。

それまでは税理士さんにも「これほど決算書が優秀な会社は私のお客さんの中では他にいませんよ」と
褒められていた矢先ですからね。振り返るとその選択はイカれているとしか思えない。
無軌道な人件費の増加によるいきなりの1,000万ほどの赤字。
しかも2011年の震災の1年後に行った“被災地限定のぼり旗1,000本無料提供運動”の影響もあり
赤字は結果的に3期連続となりました。
もちろん経営者としての力不足が原因だったと思うのですが
覚悟の上の決断なので後悔はしていません。。(でも赤字はダメ、絶対!)

選択G【赤字を覚悟しあえて斜陽産業へ突入することを選ぶ】

ターニングポイントその5【チームでの仕事を選ぶ】

フリーランスのときは正直、相当うまくいってました。
ひとりだから人件費もかからないですし。仕入もいらない。
しかも月の半分以上は休んでました。それでもどんどん単価も上がり、
よい仕事が来るので2006年の7月には節税のため法人化をしました。
それ以降も毎年、前年比で3割づつ売上が上がっていきました。
『結局、2016年時点で15年連続前年比130%(平均)の売上を達成』します。

でも、自分の限界も見えていました。
ひとりで働くのは気持ち的に楽なんですが「なんだかつまらないなー」と思い始めました。
人を雇用することの大変さが全く見えていなかったからでしょうね。
それでも風に流される笹船のように、そっちの方向にゆっくりと進み始めます。

どの会社もそうだと思いますが、 人間誰しもある部分は優秀だけど、ある部分はそうではない。
そんな人たちが集まってひとつのチームになっています。
わかりやすく言うと『がんばれ!ベアーズ』という映画のようなイメージです。
もちろん、一人ひとりが、まだまだ成長しなくてはいけません。
だけど私たちとには 『ミスは責めない、仕組みを責める、そしてカイゼンする』
というポリシーあります。

なぜならわたし自身が、たいした『能力がない』からです。

そしてついでにヘンな『プライド』もありません。

年下にも頭を垂れて教えを請います。
基本的に若いひとほど優秀だと思っています。
興味があることはチームが強くなること。デザインのチカラで誰かを喜ばせること。
私ひとりでできることは限られています。
なのでチームとしてチカラを合わせられる『素直な人』を求めています。

チーム力を高めるためにも週1回の全体ミーティングと
マーケティング会議や持ち回りのレクチャーで学びとディスカッションを行っています。
また月1回のコンパという名の 『飲みながらの会議』などで コミュニケーションを取っています。
情報を共有するためにSlackをはじめとした社内SNSも導入していますが、
結局のところ社長である私の成長が最も大切であると考えています。



選択H【気ままな“個人プレー”ではなく難しい“チームプレー”を選ぶ】


今後どういうことをしていきたいか

日本国内の、のぼり旗の製作事業者さまは 数多くあるでしょうがデザインに特化した事業者は、
まだほとんど見当たらないと思います。
逆に優秀な人材が集まりにくいことも参入障壁となって 私たちの優位性が守られているともいえます。
現在は主に『カフェ・喫茶』と『焼肉・居酒屋』関連のぼり旗に特化していますが
この分野で圧倒的1位を獲った後にそのノウハウを
他の分野に水平展開をして徐々にシェアを拡大していきたいです。

もちろん、デザインをマネされるリスクもあります、というか すでにパクられはじめています。
ただあまりそういうことは気にしていません。
今のところオマージュ(リスペクトしてるからつい似ちゃった)だなと笑っています。
さらには私たちと同じ屋号を使っているところすらあります。
(ちなみに私たちの屋号はすでに商標登録済みです)
時が来たら満を持して実例を挙げSNS等で正当性を逆に宣伝していきます。
(今、デザインをもろパクリをしている業者さん、首を洗って待っててね^^)

ただ同業他社さまとのシェア争いにはなりにくいと考えています。
なぜなら私たちののぼり旗を選んでくださる人は
今までに『のぼり旗』を使ったことがない人がとても多いからです。
さらに価格帯が違うことも挙げられます。

コツコツと作り上げたデジタルデータは
現在、営業をかけているデジタルサイネージにも応用ができます。
オンライン配信が可能な動画コンテンツの制作もすでに開始してます。
またのぼり旗をフロントエンド(導入)商品として、
月額制のデジタルサイネージをバックエンド商品として普及させたいと考えています。
『ダイレクトレスポンスマーケティング』の手法によって
顧客リストを大切にしながら目立たずに安定的に成長していきたいです。

そして日本での成功事例をもとに クールジャパン戦略に呼吸を合わせ
海外においても日本発の『のぼり旗』と『デジタルサイネージ』を広め
『デザインのチカラで人生の勝利者をつくる』という企業哲学を本物にしたいと考えています。
今はまだ、うちの会社の作業の一部を地域の養護学校の授業に組み込んでもらい、
生徒さんたちが練習したのちに、弊社にて就労体験をしてもらうというレベルですが
いずれより多くの”働きたいのに働けない人”への雇用を継続的につくりあげたいと考えています。

また近年、経済産業省と特許庁の
『産業競争力とデザインを考える研究会』が著した『デザイン経営宣言』にもあるように
デザインの投資効果を私たちのお客さまに実感してもらう使命を担いたいと思います。
(British Design Council は、デザインに投資すると、その約4倍もの利益が得られると発表し、
Design Value Index は、『デザイン経営』をする企業は、S&P500(アメリカの大企業の株価指数)
全体と比較して過去10年間で2.1倍も成長したことを明らかにしています)
*デザイン経営の詳細 https://www.meti.go.jp/press/2018/05/20180523002/20180523002-1.pdf

さらに国際的に活躍できる 『アウトサイダーアーティスト(健常者でない芸術家)』を
育てていける会社に成長していこうと考えています。

会社のステージを知ってもらったうえで…

さて、地道に2001年から15年連続で売上は約30%ずつ上がり続けたのですが、
その後4年間は売上が横ばいになってしまいました。
その理由をアウトプットの不足だと考え、
出費を減らすのではなく逆に採用活動と資金調達に走りました。
そんな会社を『おもしろいじゃないか』と思える『おもしろい』人財を求めています。
もし、わたしがこの会社を40代で見つけてもきっとスルーしてますが、
20代の時にこの会社を見つけていたら志望していたと思います。

なぜなら成長初期段階の会社こそが成長するチャンスがあり“幅広い実力”を身につけられると思うからです。

ですが、「指示待つだけ」「会社はこうしてくれてあたりまえ」「他責」などの
傾向がある人は正直、大企業に行かれた方がよいと思います。
組織の欠点をあげつらうだけで「ではどうすればいいのか」を考えられない人は
どこに行っても同じことで苦しみます。完全に自分に都合のいい会社なんてどこにもないですもん。
大きな企業なら不満をうまく感じないような仕組みや制度が整っています。

ちなみに名の通った会社だと入社するのが大変だけど「ベンチャーだから簡単だろう」と恐るべき勘違いをしている人も辛いと思いますよ。実はベンチャーの方がむしろ高い能力が必要だと思います。
すべてはトレードオフです。自分次第です。

もちろん就職する人にとって、今はかなりの売り手市場です。
大企業にも入りやすい時かもしれません。
しかし日本の大企業に、成長し続ける伸びしろはほとんど残ってはいません。

わたしは普段とてもポジティブな考え方をするのですが、
正直を言うと2020年の東京オリンピック後の日本はかなり厳しい状況になると思っています。
今以上に激しい変化と縮小が起こる時代になることはカンタンに予想できます。

だからこそ、若いうちこそ、どんな苦難が襲いかかってきても立ち向かえる
智慧と勇気が必要な経験をすることほど幸せなことはありません。
勉強すべきときに勉強し、訓練を受けるべき時に受ける。
また、若いうちに難しいことに勇んで立ち向かうことほど幸せなことはないと考えます。

仕事を選ぶときは、自分の能力が高まる場所、自分の裁量を多く与えてもらえる可能性のある場所、
そして多くの人を心から喜ばせようとしている良識のある場所を選んでほしいと思います。
ひいてはそういう哲学を持つ企業こそが繁栄していくのではないか、
否、断固として繁栄させなくてはならないと思っています。

あなたが受ける面接の担当者に、どうかこう聞いてみてください。
「この会社の目的は何ですか」「あなたはここで何のために働いているのですか」と。


面接は単に会社に選ばれるだけではないのです。
あなたが会社を選ぶ場でもあるのです。


いろいろ大変かと思いますが、どうか悔いのない就職を勝ち取ってください。
面接に落ち続けても自信をなくす必要はありません。
社会に必要のない人間だと卑下する必要も全くありません。
落ちたという事実からマイナスのメッセージを受け取るのも受け取らないのもあなた次第です。
わたしだって、たまにディスられます(笑)相性だってあるでしょうし。
人間ができてないから、味方と思っていた人に鉄砲で後ろから打たれてたことだってあります(笑)
ある意味、そんなのあたりまえなんです。

わたしの決めた目標は『デザインのチカラで人生の勝利者をつくる』ということです。
その過程で、誤解されても中傷されても、たとえ裏切られても
自分で選んだ道に悔いはありません。

だからあなたもやりたいことをやりたいようにやればいいんだと思います。
あなたの進んできたキャリアだって、仕事だって途中でやり直したっていいんですよ。
やりたいことをやればいいんですよ。

ただ、悲しいかな 1秒ごとにすべての人間の可能性は狭まっていきます。
タイムリミットは死ぬときです。
どうか手遅れになる前に思い切って行動に移してください。

そして決めた場所で地道な努力を継続できるひとならば、
たとえ最初から思うようにならなくても、
いずれ、“好き”で“トク”で“社会のため”になる仕事にたどり着けると思います。
わたしも今もって走り続けています。
東京オリンピックを迎えようとする世界から注目される今こそが本当の勝負です。

どんな分野も実力がつけばどんどん楽しくなります。
人生で一番長い時間を費やす“仕事”
サーフィンを楽しむかのように捉えてほしいと思います。

所詮、就職活動なんてドラマみたいなものです。
面接してる時に「本当に私はこんなこと考えてるんかな」とか
「よくわかんないな」と思う時もあるかもしれません。
時には矛盾したっていいんだと思います。
キレイごと言ってる私だってもちろん聖人君子では全くありません。
ある部分はゲスの極みかもしれません。
だからと言って、私の言うキレイごとに価値がないとも全く思いません。


今後、あなたの目の前に横たわる数多くの選択肢において、
どうか悔いの残らない『大きな道』を選んでください。



最後にアメリカの詩人ホイットマンの言葉を紹介して終わります。



私には矛盾がある。
(それは私が大きいからである)


どうか自分を信じて、いろんな自分を受け入れてあげてください。
何ごとも大きく捉えて、大きく生きてください。




最後までお読みいただいた
あなたの就職・転職活動が素敵なドラマになることを願っています。

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