「勉強すると怒られた」農家の長男が慶應からNTTドコモを経てIT企業を立ち上げるまで

(※写真は立川さんの幼少期)

2014年4月の設立から7年目を迎えた私達ユニークワン。
今回は代表取締役社長である立川さんに「生い立ちからユニークワン創業に至るまで」をインタビュー!

立川さんは新潟の米農家の長男ですが、なぜ家業を継がずにインターネット広告会社「ユニークワン」を立ち上げたのか。
起業に至るまでの半生をじっくり語っていただきました!

生まれは新潟の米農家。野球に没頭した中学時代

ーーまずは立川さんの生い立ちについて聞かせてください。

出身は旧中蒲原郡横越村(なかかんばらぐん よこごしむら)、私は4人兄弟の長男です。
実家は米農家で、毎年ゴールデンウィークは家族総出で田植えをし、秋になると稲刈りを手伝っていました。土日もよく農作業に駆り出されていたことを覚えています。

テレビゲームも無い時代だったので、遊びは野球か虫取りぐらいしかありませんでした。
私も小さい頃から近所のお兄さんたちに混じって野球をしていて、小学5年生の時からは地元のスポーツ少年団に所属し、中学では野球部のピッチャーをしていました。
中3までは完全に野球一筋の田舎の少年でしたね。

(学ランを着ているのが中学時代の立川さんです。)

ーー中3までということは、高校では野球を続けなかったんですか。

新潟明訓高校(野球の強豪校)を受験したのですが、落ちてしまって…。
実家からアクセスのいい公立校へ進学しましたが、野球部は強くなかったので部活は入りませんでした。
かといって進学校ではないため、あまり勉強もせず。
放課後は友達とゲーセンに行ったりカラオケしたり、遊んで過ごしてましたね。

高校卒業後の進路について真剣に考え始めたのは高2の冬。
偏差値40台の高校だったので、ほとんどの人が就職か専門学校に行くような環境です。
でも当時の私は自分が社会に出て働くイメージがわきませんでした。
専門学校に行くことも考えましたが、特に興味のある分野もありません。

色々悩んだ末、「慶應義塾大学」を目指すことにしました。


(こちらが現在の立川さんです。)

偏差値40台から猛勉強し慶大生の仲間入り

ーーなぜ、慶應義塾大学を志望校にしたんでしょうか。

理由としては大きく2つあります。

1つ目は、両親を説得するために「有名な大学に行こう」と思っていたから。
両親からは大学進学に反対されていました。
父は高卒で、母は中卒。進学には否定的。
父親からは「勉強するとバカになる」と言われるくらいでした。
兄弟4人いるので、私一人に学費をかけたくなかったというのもあると思います。
でも、否定されるとその分行きたくなるんですよね。
そのためには誰もが知っているトップの大学じゃないと意味がないと考えました。
国公立なら東大、私立なら慶應か早稲田、このどれかだな、と。

2つ目の理由は、3大学の中で慶應が一番モテそうだったから(笑)
当時の私は「モテたい」という思いがめちゃくちゃ強かったんですよ。
受験勉強も「慶應=モテる」をモチベーションに頑張ることができました。

ーー進学校ではない環境で受験に集中するのは大変そうですが。

慶應を目指すと決めた段階でゲームは捨てましたし、テレビも一切見なくなりました。
塾にも行っていなかったので「合格体験記」の本を読んで合格者がどんな参考書を使っていたのかリサーチするところからスタートし、自分に合う参考書を絞り込んでいきました。

平日は1日5〜6時間、土日は1日13時間くらい勉強していましたね。
授業中も受験科目以外は自分の受験勉強をひたすら進めていました。
土日だったら図書館を1日でいくつもハシゴして、集中力が途切れないように工夫したり…。

受験勉強を始めた頃は偏差値40台、模試の判定も最低ランクだったのが、最終的には偏差値78、A判定までこぎつけ、晴れて合格することができました。


時代はIT革命。辿り着いたのがNTTドコモだった

ーー慶大生となった立川さん。どんな学生生活を送ったんでしょう。

1年生の時に仲良くなった友人と2人でサークルを立ち上げてイベントを運営したり、冬は雪山でスノーボードのインストラクターをしたり、長期休暇に引きこもってひたすらゲームをしたり…わりと遊び中心でしたね。

学業でいうと「1to1マーケティング」のゼミに所属していました。
日本未上陸だったAmazonの事例を取り上げて、ITの力で各業界がどのように1to1マーケティングを実現していくのかを発表し合ったり、今考えるとかなり時代を先取りしてましたね。

Web制作のアルバイトもしていました。
サイト制作の技術を身につけることで実家の農業法人「カガヤキ農園」のホームページもいち早く作成できたらいいな、と考えたからです。
当時はIT革命のいわゆる「シーズン1」の時期で、FLASHやプログラミングなども一通り手を付けていました。

ーーでは、就職活動もIT業界を見ていたんですか。

はじめは記念受験感覚で、志望業界もなく、人気企業ランキングを上から順に受けていました。
新卒で大きな組織に入って、大企業の仕組みを学びたいという考えもあったので。
ただ、就職活動を続け、様々な業界研究をする中で「やはりこれからはITの時代が来る」と考えるように。
そこからは、IT業界に絞り込みました。
で、IT企業を色々調べていたら、たまたまNTTドコモを見つけたんです。
当時ドコモは超人気企業。それまでインターネットはパソコンが主流でしたが、私は「ドコモのiモードのようにモバイルでのネットが主流になる時代が来る」と感じていました。
面接では「IT革命は100年に1度のビッグウェーブで、ドコモはこの波を乗りこなす企業だと感じた。自分のキャリアもそうありたい」と話したことを覚えています。


(ちなみに広告業界には一切興味がなかったそうです。)


激務のドコモ時代の経験が今に繋がっている

ーーNTTドコモ入社後はどんな業務を経験したんですか?

最初の配属は埼玉支店。埼玉県内のドコモショップの販売支援や販売企画などを担当しました。
業務を通じて、エリアマーケティングやデータ分析のノウハウを身につけることができました。
これはユニークワンの強みである「データ分析力」の原点になっています。

その後、入社3年目に本社の経営企画部へ異動。
大企業の中枢で活躍する先輩方との出会いは非常にいい経験でした。
役員会議や経営会議の資料作りなど、経営に関する知識が求められ、私も会社の制度を活用してグロービスのMBAコースに通わせていただきました。
この時に得た知識はユニークワンを経営する上でも役立っています。

数年後にはドコモのリブランディングのプロジェクトにも携わったのですが、今度は会社の目線ではなく「社会」「人類」「100年後」といったさらに高い目線、広い視野が求められました。
この経験はユニークワンの存在意義や企業理念、将来像について考えるヒントになりました。

ちなみに、埼玉支店にいた時も経営企画部にいた時も明け方のタクシー帰りが当たり前でした。
とにかく業務量が多くて忙しかったけれど、夢中で仕事をしていました。

ーーなぜドコモを退職したんでしょうか?

「ドコモはこのままネットワークだけの会社になってしまうのではないか」という危機感を覚えたからです。
私が入社した2001年、NTTドコモは端末・プラットフォーム(iモード)・インフラ(ネットワーク)全てを自社で提供できる最強の企業でした。
2000年前後のNTTドコモは世界の時価総額10位以内に入っていましたし、私も「ドコモは将来Googleのようなグローバル企業になる」と思っていました。
世界初の4G通信を実現したのもドコモでしたから。

(1999年時価総額ランキングでNTTドコモは世界3位/出典:MUFG マーケットの歴史

しかし、私が在籍した10年間で、状況はすっかり変わってしまいました。
ドコモをはじめ国内企業は世界のIT革命についていけず、気づけば世界のトップはGoogleやApple、Facebookなど、いずれも海外企業。
日本はすっかりIT後進国になってしまいました。

この状況は、自分ひとりがドコモで頑張ってもどうにもならない。
仕事盛りの30代〜40代をこのまま過ごしていいのかと思い始めました。

では、今後自分は何をやりたいのかと考えた時、これまで経営企画部で学んだことを実践の場で活かしたいと思ったんです。
経営コンサルティング会社への転職も視野に入れていましたが、実家で父親の農業経営を手伝うのも面白そうだと考え、新潟へ戻ることにしました。

(立川さんがドコモにいた10年は「日本企業にとって敗北の10年」だった。)

「地方のIT化の遅れは社会問題」起業の原動力に

ーー新潟に戻ってからは実家で仕事をしていたんですか?

はい、実家の「カガヤキ農園」に入社し、ネット通販や社内システムのIT化に着手しました。
こうした取り組みがIT導入のモデルとして評価され、経済産業省の中小企業IT経営力大賞・審査委員会奨励賞を受賞することができました。

一方で、新潟で働き始めてから、最もショックだったのが「地方のIT化の遅れ」です。
東京が世界からIT化で遅れを取っているのに、地方はさらに遅れていて、衝撃を受けましたね。

ーー「地方のIT化の遅れ」を感じた理由を詳しく教えてください。

通販サイトのリニューアルを県内のサイト制作会社に相談したところ、あまり詳しくなかったんです。
大学時代にサイト制作をしていた自分の方が詳しいかもと思うくらい。

IT化の遅れはデータで見ても明らかです。
2014年当時の「企業の広告費におけるインターネット化率」を見ると、東京都の15パーセントも少ないですが、新潟県はさらに下回って、わずか0.6パーセント。
東京と地方のIT格差が拡がっている現状を知り「地方の遅れをなんとかしなければ」と感じました。

ーーなぜそこまで東京と地方で差が開いてしまったのでしょうか。

広告については、「インターネット広告代理店」が地方にほとんどないことが一因だと思います。
NTTドコモが、ポケベルからスマートフォンに至るまで全国で急速に普及させることができたのは、全国各地のドコモショップ(代理店)の存在が大きかった。
これと同じことがインターネット広告にも言えるんじゃないか、と考えました。

当時、新潟のIT企業はほとんどがサイト制作会社。
インターネット広告代理店は一つもありませんでした。

GoogleやFacebookの代理店は首都圏に集中しています。
この状況を打開することが、地方の遅れを何とかする第一歩だと考えたんです。

ーーそこからユニークワン創業につながるんですね。

はい、元々起業する気はなかったのですが、地方のIT化の遅れを目の当たりにしたショックが起業の原動力になりました。

これはユニークワンのミッション「地方のIT化をリードすることにより、都市部との情報格差を是正し、地域社会の発展に大きく貢献すること」にも通じる部分です。

東京の企業に負けないようなインターネット広告会社を地方で実現するための挑戦が始まりました。


(その会社がこの春で設立7年目となりました。)

立川さん、ありがとうございました。

新潟の農家の長男がまさかインターネット広告代理店を立ち上げるとは…。
でも、こうしてユニークワンがスタートした、ということがおわかりいただけたのではないでしょうか。

これを読んで興味を持った方はぜひ「話を聞きに行きたい」から、ご連絡をお待ちしています。

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