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【代表インタビュー前編】バーチャルライブプラットフォームVARKの立ち上げと成長の変遷をインタビュー。世界一を目指し、アジアチャンピオンになるも、選んだのは社会を変えるようなものづくりの道

こんにちは、VARK採用担当です。VARKについてより深く皆さまに知っていただくために、今回から2回にわたり、弊社代表取締役の加藤卓也(かとう たくや)のインタビューをお届けします。前編では、生い立ちから学生時代のエピソード、就職、そして起業するまでの話を聞きました。ぜひご覧ください!

“一番”になるためのフィールドを探し続けた学生時代

ーー どのような幼少時代、少年時代を過ごしてきましたか?

出身は千葉県千葉市で、小学校は地元の学校に通っていたのですが、その後は私立の中高一貫校に進学しました。小学生の時はわんぱくなことばかりしていたので、中学から進学校に通うことになり、はじめはカルチャーギャップに戸惑いましたね。中学入学後、何か打ち込めることがないかと考え、卓球部に入部。卓球(シングルス)は1対1の試合なので、勝っても負けても自分の責任というのがわかりやすく、それが面白くて夢中になりました。中学ではそれほどきびしくはなかったのですが、高校では日本一を目指し、部活漬けの毎日でした。

ーー 高校卒業後の進路はどのように決めたのですか?

高校3年生の県大会で、中国から来ていた高校1年生の選手に負けたのがきっかけで、卓球はすっぱりやめました。中国勢の強い選手たちばかりがいる卓球では、どう頑張っても勝つことができないことを痛感したんです。卓球をやめて大学受験をすることに決めたのですが、それまでずっと部活一本の生活で、勉強は全くしていなかったので、中学1年生の勉強からやり直す状況で…。しかも、受験を決めたものの、将来については何も考えておらず、先生と進路相談をした時に初めて何学部を受けるかを決めなければいけないことに気づいたくらいです(笑)。特にやりたいこともなかったため、好きなことに挑戦しやすい新設学部を受けると良いのではとアドバイスをもらい、半年間必死に勉強した結果、明治大学の情報コミュニケーション学部に入学。何でも学べる自由な環境で自分のやりたいことを見つけてから、それを実現するためにまた本気で頑張れば何とかなるかなと思っていました。

何でもできる環境の中で、自分のやりたいことを見つける

ーー 大学時代はどのような生活を送られていましたか?

情報コミュニケーション学部は、語学からプログラミングまで、情報やコミュニケーションにまつわる分野は何でも学ぶことができる学部です。新設学部だったので、カリキュラムも決まっておらず、好きなことを自由に学びなさいという環境でした。何でもある中で私が選んだのが「映像演出」。高校まで部活しかやっておらず、スポーツ以外のことはほとんど何も知らなかったのですが、部活の合間にアニメやドラマをよく見ていて、映像に興味があったのと、映像分野の授業が豊富だったこともあり、映像系に進みました。映像の中でも、撮影の分野は情熱のレベルが桁違いの人がたくさんいて勝てないと思い、撮影ではなく分析するほうに進みました。

大学の最後のほうではアニメーションの演出を専攻し、新海誠監督や細田守監督の初期作品の分析などを行いました。映像作品というのは、その時代の社会問題が反映されることが多いのですが、1990年代と2000年代のアニメを比較して、どのような社会問題が切り取られて表現されているのか、同じ社会問題でも90年代の取り上げ方と2000年代の取り上げ方ではどのように異なっているのか、などを分析していました。

日本チャンピオン、アジアチャンピオンになった後の虚無感とものづくりへの転向

ーー 勉強以外では何か熱中していたことはありますか?

大学入学後、卓球はやめても体は動かしたいと思い、何かするのであれば、日本一や世界一を目指せることをやりたいと思っていました。卓球では実現できなかった、世界一になった時の世界観を体験したいという思いがあったんですね。世界のマイナースポーツを調べて、自分でもできそうだなと思って始めたのがスポーツチャンバラです。たまたま明治大学にスポーツチャンバラのサークルがあり、そこに参加することにしました。

スポーツチャンバラは比較的新しい競技で、少し工夫をすれば勝てる要素がたくさんあるスポーツです。練習環境も整っておらず、周りの練習量も週3日程度の人が多い中、週7日誰よりもみっちり練習し、1年後にはサークル内の誰よりも上手くなりましたね。タイやフィリピンなどへの遠征で試合数を重ね、大学3年生の時には全国大会で日本チャンピオンになりました。

さらに大学4年生の時に、インド大会でアジアチャンピオンになりました。アジアナンバーワンになったのですが、虚無感しかなかったというのが正直な感想です。大会の参加国数は16ヶ国ほどで、選手数が100人弱で観客数も多くない試合の中でナンバーワンになってもあまり達成感がなかった。そこでさらに大きなフィールドを求めて、エジプトにあるスポーツチャンバラのリーグに参画できないかと模索し始めましたが、民主化デモが起こるなどでビザを取るのが難しく、リーグ参加は諦めました。

ーー プロのスポーツチャンバラ選手の夢をあきらめた後はどうされたのですか?

結局、競技を続けるのではなく就職の道を選び、就職活動を始めました。卓球もスポーツチャンバラも個人競技だったので、個人で何かを頑張るよりも、社会を変えるようなサービスを作り出し、世の中に貢献する仕事をしたいと思い、ものづくり分野で会社を選びました。私の大学時代はLINEやパズドラが出てきて世の中に広まってきたタイミングで、当時流行っていたソーシャルゲームを作る仕事ができたらいいなと考えたんです。高校の時も受験勉強の準備を始めるのが遅かったのですが、就活を始めたのも大学4年生の夏とかなり遅かったんですね。その時点でまだエントリーシートを受け付けていた会社の中で、ゲーム会社や広告代理店を受け、アクションゲームを作っていたカプコンに新卒で入社しました。

新卒でカプコンに入社後、VR市場に魅了されて25歳で起業

ーー 新卒でカプコンを選んだ理由は何だったのでしょうか?

いくつか受けていた会社の中で、ソーシャルゲーム事業で苦戦していたカプコンを選びました。成功している環境よりも苦戦している環境のほうがチャンスをつかみやすいと考えたからです。僕が希望していたソーシャルゲーム部門ではなく、企画職としてゾンビを倒すゲームを担当し、ゾンビを倒すための新しい武器の企画や、ゾンビに装備されている視覚センサーや聴覚センサーの調整など、地道な作業を3年半行っていました。

ーー その後、起業を志したきっかけを教えてください

ゲームの制作は1サイクル3~4年なのですが、担当していたゲームのタイトルが終わったタイミングで新しいことに挑戦したいと思い、2017年8月に25歳で起業しました。2016年はVR元年と言われ、さまざまなVR機器が発売されたのですが、どれも普及せずに終了していた時期です。そのVR市場をリサーチして分かったのは、当時VRに参画していた会社が出していたプロダクトはチープな内容のものが多く、ユーザーが求めるリッチなコンテンツを提供できていなかったんですね。VRはわざわざ頭に装着してプレイするものなので、スマホのゲームのように短時間で手軽に遊ぶものではなく、細部まで作り込まれた体験を提供する必要があります。当時行っていたプロのゲーム開発の経験を活かしたプロダクトを提供すれば勝てると考え、カプコンを退社してVRのコンテンツを作る会社を立ち上げました。創業当初は、お絵かきソフトや釣りゲーム、音楽ゲームなどいろいろなコンテンツを作っていました。

いかがでしたか? インタビュー前編では、自分が活躍できる場所を冷静に見極めながら結果を出し続けた学生時代の話から起業に至るまでを聞きました。後編では、その経験を活かし、より多くの人が輝ける場所を提供するために、VARKを立ち上げた経緯から成長の軌跡の話をお届けします。お楽しみに!

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