壁にぶつかりまくった"10代"と変革の"20代"

真っ暗から始まった高校時代

 私が卒業した学校は公立の工業高校でしたが、受験前の将来の夢は社会科の先生でした。小さなころからあまり両親に勉強や人としての立ち振る舞いを教えてもらえなかった私からすると、学校の先生は常に憧れであり、なりたい大人像でした。

 社会科の先生になりたかった理由は、子供たちに歴史を教えたかったからです。歴史を学び、過去の失敗を疑似体験し、新しい未来を作っていくのだ!!って思ってました。受験勉強を続けて模試でも成果が出ている矢先、高校には進学せず働くように言われました。学校の先生との相談や、周りの大人たちが私のために奮闘してくれた結果、なんとか工業高校への進学という結果で落ち着きました。

 文系かつ教育系の学校へ進学したかった私が、理系かつ技術系の学校に入学する事実は受け止めることができませんでしたが、それでも奮闘してくれた人たちのためにも「取り合えず行ってみるか」この程度の思いでした。

 入学してからの1ヶ月を目標もなく、やりたいこともなく、本当に出席だけする毎日でした。見かねた担任の先生が私に、「面白くないのは、お前が面白くないからだ」とはっきり言われやりたいことを見つける努力を始めました。その努力はすぐ報われました。PLCを用いたシーケンス制御にドはまりし、競技大会の強化メンバーにも抜擢され、制御の事で頭の中が支配される高校生活でした。

 就職はする。だけどもっと視野を広げてみたい。勉強することは楽しい。学費をためて大学に進学することを決めました。

日本中を飛びまくった会社員時代

 専攻していた制御技術で順当に評価を頂けるようになり、大手重工業グループの一員としてお仕事をさせていただけるようになりました。同級生の中では珍しい「設計」に配属されウキウキ気分でしたが、要求されるレベルは高く最初は寝る間を惜しんで勉強し続けました。同期よりも早く研修を終えて9月からは日本全国を飛び回りながら懸命に仕事をこなしました。同時に、お金は貯められるものの進学のための勉強ができておらず、「エンジニアとしてのなりたい自分」「進学の夢を持つ自分」との間で起こるギャップに苦しむようになりました。

 その時、ちょっとブラック?だった為か理由は今でもわかりませんが、山口県にある事業所の同じ部署の社員およそ20%が同時に辞めるという事態が発生し私の席があった事業所から異動させる事になりました。当時19歳だった私に白羽の矢が立ち、山口県に転勤になりました。

 山口県の事業所では、私の同期がまだ研修を受けており、なんだか複雑な気分になりました。実家から通っていたため、一人暮らしをするよりは金銭的な余裕があった為、貯められていた進学資金も貯められなくなってしまい、さらに勉強をしていく時間は減っていきました。

 20歳になり、使える時間がない中で人生設計を見直した時には「今すぐ進学したい」と思うようになっていました。仲の良い上司や先輩方に相談すると、辞めたほうがいい。進学しなさいと言ってくれる方がほとんどで、引継ぎのうち退職することになりました。

 2018年1月から怒涛のスケジュールで引っ越し・入学申し込み・お金のあれこれを行い晴れてHAL名古屋に入学することになります。今のところ人生最大の決断です。

驚きと新しい発見の専門学校生活

 生徒一人ひとりの考え方そして新しい業界の発見の連続で、何より私の受けてきた教育のどれにも当てはまらないのにビックリしました。学校の授業で満足せず、やりたいことに必要なことはすべて自分で学び実践していく生活でした。学校・自習・バイトをめちゃくちゃ頑張ってすべて両立させ、休みのない毎日を今も送っています。

 さらに一番良かったのは、ロボット開発のUIにWEBを利用しようと思い立ったことです。この思い付きでメーカだけでなく、IT業界にも視野を広げることができました。勉強を進めていく中で人の生活を変えるサービスを作りたいと思うようになり、その夢に向かって努力の毎日です!!!